ブレイキン女子の表彰式でメダリスト同士で肩を寄せ合う湯浅亜実(中央)=コンコルド広場で2024年8月9日、平川義之撮影

パリ・オリンピック ブレイキン女子 決勝

 湯浅亜実選手(25)=ダンサー名・AMI= 金メダル

 情熱がほとばしるダンスで、個性を表現しきった2人は、まだ結果が出ていないにもかかわらずハイタッチをして抱き合い、互いをたたえ合った。

 ブレイキン初代女王の座を懸けた決勝。流れるような一連の動きと技の引き出しの多さで金メダルに輝いたのは、湯浅亜実選手(25)=ダンサー名・AMI=だった。強調したのはメダルのうれしさよりも競技のカルチャーを発信できたことへの喜びだ。「ブレイキンはスポーツにもなり得るけれど、自分の中では自己表現だしアート」。その言葉の裏には真の意味での勝者も敗者も存在しないという思いがある。

 元々は1970年代、米ニューヨークの貧困地区で、ギャングが暴力の代わりにダンスで平和的に問題を解決しようとしたことが、ブレイキンの起源とされている。約半世紀の時が流れて技の高難度化が進んできたが、最も大事なものは多彩な個性を尊重し合うという価値観であることは変わらない。

 五輪に若者の関心を引きつけようとパリ大会での実施が決まった際は、その文化が失われるとの懸念が広がった。順位や評価を気にするあまり、「パワームーブ」と呼ばれる派手な回転系の技など一目で分かりやすい動きばかりが積極的に取り入れられ、自己表現などの要素がおろそかになる可能性への抵抗感だった。

 しかし、他の会場よりひときわ大音量の音楽が響くパリ中心部のコンコルド広場を包んだ熱気は、その不安が杞憂(きゆう)であったことを示した。国籍も年齢も関係なく、各選手は自分の得意とする動きを次々と繰り出した。競技の進行役(MC)は観客に歓声や手拍子を求め、会場が一体になる。競技が終わった後、勝敗が表示される画面を祈るように見つめる選手の様子はほとんど見られず、さながらライブ会場のようなエンターテインメント性の高い空間だった。

 湯浅選手は「国とか関係なく一丸となり、皆で楽しむ。ブレイキンを知らない人にも魅力を伝えられたと思う。やってよかった」と語った。戦時下で開かれ、平和の祭典の意義が問われた大会で初めて行われたブレイキン。興奮の後に残ったのは、「争うのではなく、認め合うことで前に進む」という原点を思い起こさせる爽やかで心地よい余韻だった。【パリ角田直哉】

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