レスリング女子53キロ級決勝を制し、セコンドについた父俊一さん(左)と日の丸を背に喜ぶ藤波朱理=シャンドマルス・アリーナで2024年8月8日、平川義之撮影

パリ・オリンピック レスリング女子53キロ級 決勝(8日・シャンドマルス・アリーナ)

藤波朱理(あかり)選手(20)=日体大 金メダル

 とびきりの笑顔で飛びついてきた娘をしっかりと抱きかかえた。初五輪で金メダルを獲得した藤波朱理選手(20)をコーチとして支えた父俊一さん(59)は「(抱きつかれたのは)初めてやから、うれしかったですね。子供の頃は覚えてないけど、ほとんどそんなことはしたことないから」。照れくさそうに笑った。

 藤波選手が8歳上の兄の影響を受けてレスリングを始めたのは4歳の時。俊一さんが代表を務める地元のレスリングクラブに通うようになった。俊一さんは1988年ソウル五輪の日本代表候補。「強制するのではなく、本人の意思ややる気を一番大切にした」という指導方針のもと、藤波選手の自主性を育みながら練習をこなした。高校も俊一さんが監督だった三重・いなべ総合学園高で厳しい練習をこなし、この頃には既に公式戦負けなしで勝利を積み重ねていた。

 二人三脚の歩みの大きな転機は、数年前に訪れた。2021年、高い指導力を評価された俊一さんがコーチとして日体大へ。すると翌22年には高校を卒業した藤波選手も後を追うように同じ大学へ進学した。大学近くの2LDKのアパートで2人暮らし。レスリングに集中できる環境を整えたつもりだったが、指導者と選手、父と娘、という互いの距離感に悩みもあった。

 「帰りが遅いじゃないか」

 「なんでそこまで口を出すの」

 2人で暮らし始めて、最初の頃は帰宅時間や片付けを巡って、すれ違いが起きることもしばしばあった。「ずっと一緒にいたら小言も言いたくなるでしょう」。言い合いになり、会うのが気まずい時は、俊一さんがわざと寄り道や遠回りをして帰宅することもあった。俊一さんは「そこまで気を使わないといけないのかと。完全に想定外」と苦笑いで振り返るが、2人で生活する期間が長くなると、ぶつかることも自然と少なくなっていった。

 俊一さんが藤波選手を寮に入れず、一緒に暮らすことを選んだのには理由があった。それは普段の食事から気を配り、体重管理を徹底するため。「絶対に最後は体重との闘いになる」と俊一さんはみた。白米を雑穀米に変えて、肉も赤身だけを焼いて食卓に並べる。料理本を読んだり、寮生活だった自らの学生時代の記憶を掘り返したりして、なるべく藤波選手の負担を減らしながら、減量に取り組めるようにと工夫した。ある時は、笑顔で「父が作る野菜たっぷりのスープがおいしいんです」と語る藤波選手の言葉を、俊一さんが困ったように「あれは鍋なんだけどなあ」と訂正して、周囲を笑わせることもあった。

 約2年間の2人での生活を経て今年の春からは母千夏さん(56)も上京して3人での生活がスタート。よりレスリングに打ち込める環境が整い、藤波選手は「食事などはもちろん、気持ちの部分でもすごくサポートしてもらっている。いい状態で準備ができている」と感謝の思いを口にする。

 金メダルを手に輝く娘の姿に俊一さんは「調子良かったね。やっぱり食べ物かな。私の料理よりしっかりしたものを用意してくれたから」と冗談交じりに語った。「超人」に見える藤波選手と俊一さんも、普通の子を持つ家庭と変わらない悩みにぶつかり、乗り越えてきた。衝突しても互いを理解し合い、強めた親子の絆。その信頼関係が初めての五輪での盤石な戦いにつながった。【パリ角田直哉】

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