夏の甲子園決勝で済美を降し、北海道勢初の優勝に歓喜の駒大苫小牧ナイン=阪神甲子園球場2004年8月22日、矢頭智剛撮影

 第106回全国高校野球選手権大会は7日、阪神甲子園球場で開幕する。昨年までは2年連続で仙台育英(宮城)が決勝に進出するなど、近年は東北、北海道勢の躍進が目立つ。その転機は2004年、駒大苫小牧(南北海道)の初優勝だった。あれから20年。歴史的な一歩は、北国の高校野球界をどう変えたのか。

 04年に北海道、東北勢として初めて甲子園の優勝旗を手にした駒大苫小牧は、翌05年夏に甲子園連覇を達成。エースの田中将大投手(現楽天)を擁した06年夏は早稲田実(西東京)との決勝再試合の激闘の末に準優勝と一時代を築いた。

優勝旗を手に、チームメートの前を歩く駒大苫小牧主将の佐々木孝介さん。現在は母校を監督として率いる=阪神甲子園球場2004年8月22日、矢頭智剛撮影

 「自分たちを信じる気持ちが育った。それが一番大きな影響だった」。駒大苫小牧の偉業の意義をそう指摘するのは、04年から今夏まで東海大札幌を率い、15年にセンバツ準優勝に導いた大脇英徳さん(49)だ。

 大脇さんは選手としても東海大四時代の同校で1993年夏の甲子園に出場したが、チームは3回戦で敗れた。「『どうせ俺ら北海道だから』という気持ちが抜けていなかった」と当時を振り返りつつ、駒大苫小牧の優勝後は「北海道でもやればできるじゃん、と後押しされる気持ちにみんながなった」と語る。

 他校の指導者とは駒大苫小牧を倒すための対策をよく話し合った。「壁を崩すために切磋琢磨(せっさたくま)した」と道内の高校球界の底上げにもつながったとみる。

 98年から北海を指揮する平川敦さん(53)も「駒大(苫小牧)が結果を残したので、自分たちも頑張ろうという姿勢でやってきた」と語る。ライバル校を追い越そうと取り組み続け、16年夏の甲子園で準優勝した。

 17年以降、道勢は春夏の甲子園で準々決勝に進めていない。ただ、敗戦のほぼ半数は1点差の惜敗で、平川さんは「その年々で実力差や選手層の厚みの違いはあるが、(他の都府県勢と)大きな差を感じたことはない」と話す。【後藤佳怜】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。