プロ野球阪神の本拠、高校野球の「聖地」として愛される阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が8月1日、開場100年を迎える。「バッテリー」など、野球を題材にした小説を多く書き、春の選抜高校野球大会の21世紀枠特別選考委員も務めた経験がある、作家のあさのあつこさん(69)に、甲子園の魅力を聞いた。
――小説家として、甲子園は扱いやすいテーマですか。
すごく難しい。書き手に力がないと、美しい物語に流されてしまう。
甲子園大会が始まるたびに、感動的な話があります。例えば、亡くなったお父さんのために、けがをして出られない仲間のために、とか。
悪いわけじゃないんです。ただ、きれいにまとめられすぎた甲子園に、私は甘んじたくない。甲子園という大きすぎる存在に、のみ込まれないようにしています。だから、甲子園を書く際は自分が試されているような気がします。
――あさのさんの作品の中での甲子園は、登場人物の挫折や苦悩を引き立てていると感じます。
甲子園ほど人の思いを砕いて壊してしまう場所もないと思います。残酷ですよね。大多数の人が屈辱や敗北を味わう。「みんなが目指す素晴らしい場所」という存在だけでは捉えられない。
実際に観戦して、印象的なシーンがありました。負けた後に土をすくっている選手の前を、次の試合に出る選手たちが横切ったんです。彼らは、これから試合に出るからユニホームは白くきれいでした。負けた選手はもちろん泥だらけ。
明日を絶たれた子、これから未来に挑む子がすれ違う場所って他にありますか? 素晴らしさよりも、きつい場所だなって思いました。
甲子園が内包している物語が無限にあります。私が見たり、読んだり、書いたりしているものなんて、1%にも満たない。知りたいんですよ、甲子園が隠している部分を。
――新型コロナで春夏の甲子園大会が中止になったときには、高校球児に「自分と野球について考えてほしい」とメッセージを寄せました。
高校球児にとって甲子園は憧れという大きな光の塊です。ただ、野球が好きなのか、それとも甲子園に出たいのか、一人一人が思考すべきだと思いました。
甲子園大会は本来、球児のものですが、戦争やコロナのときのように、大人の都合で中断されるものでもある。だから、野球=甲子園ではなく、野球>甲子園になってほしかった。地方大会で敗れたからダメではない。甲子園を失っても、なお自分には野球があると考えられたら素敵だなと。
――甲子園球場は100周年を迎えます。
関わってきた多くの人間の歴史が甲子園の100年です。数え切れない涙、拍手、喜び、嫉妬、いろんなものが渦巻いている。球場であると同時に、無形のもの。だから甲子園ってすごい。変わらないでいてほしいです。(聞き手・室田賢)
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