今シーズンで現役を引退すると表明した興梠慎三選手。記者会見は湿った雰囲気にはならず、時折、記者席からは笑い声も=さいたま市緑区の埼玉スタジアム2002で2024年7月31日、瀬尾忠義撮影

 J1・鹿島アントラーズ在籍時は、浦和レッズのサポーターからすれば、ゴールを決められる「嫌な選手」だった。浦和レッズに移籍してから11シーズンを迎えた今、チームを代表し、愛されるエースに。興梠(こうろき)慎三選手(38)。誕生日を迎えた7月31日に今シーズン限りで現役を引退することを表明。新たな目標も明らかにした。【瀬尾忠義】

 引退を表明した記者会見は、自身のゴールでスタンドを沸かせた埼玉スタジアム2002(さいたま市緑区)で行われた。スーツ姿の興梠選手は冒頭、20年間の現役生活における関係者への感謝の気持ちを述べた後に「堅苦しい会見は嫌いなので、にぎやかな会見にしたいと思う」と述べた。

ゴールを狙う興梠慎三選手のパネルも記者会見場に展示された=さいたま市緑区の埼玉スタジアム2002で2024年7月31日、瀬尾忠義撮影

 J1リーグ歴代2位の168ゴール、J1リーグ1位の9年連続2桁ゴール、18年連続ゴール――といった輝かしい成績を誇る。ただ、40代が近づいた今シーズンは出場機会を減らしていることもあって、サポーターらの間で「まだまだ現役でやれる」「もしかしたら引退するのではないか」といった声が交錯していた。

 引退を決意した理由について、興梠選手はこう語った。

 「自分の力ではチームを勝たせられないと思ったのが正直な気持ち。技術面ではそんなに変わらないが、90分間で、自分がスタメンから出てどこまでチームのために頑張れるかと考えると、なかなか長い時間はもたないという正直な気持ちがあった」。さらに、スタジアムの観客はお金を払って見に来てくれていると述べた後に「僕たちはプレーで魅せないといけない。でも、それに応えられないもどかしさが自分の中にずっとあった。だからこういう決断に至ったのかもしれない」。何度か「正直」との言葉を使いながら、自身の中で葛藤があったことを明かした。

 家族に引退を伝えた時の反応も話題に。小学4年生の長女は「やめるの? 大谷(翔平)選手みたいになってよ」と言いながら泣いた。そんな娘を前に「それは絶対に無理だよ。でも、パパはパパなりに頑張ったからごめんね」と話すと、娘は分かってくれたという。

「吉野家の夜」

 浦和レッズのサポーターは熱狂的な応援で知られるが、敗戦時にはゴール裏にあいさつに来た選手たちと口論になることもある。そのようなサポーターとの関係を興梠選手はこう受け止めている。

 「サポーターは本当に選手たちを後押ししてくれる。だから選手たちは頑張ってタイトルをファン・サポーターにプレゼントをするのが大前提だと思っている。サポーターと口論することはあるかもしれないが、それはチームにとってものすごく大事なことだと。お互いが一生懸命やっているからこそだと思っているので。僕もけんかして自分の意見をぶつけて『こうしてほしい』『ああしてほしい』と言ってきた。それが深い絆になっていった」。若い選手には、もっとサポーターとの交流の場を設けてもいいのではないかとの考えも示した。

 興梠選手とサポーターとの関係を示すエピソードとしては「吉野家の夜」が語り継がれている。2017年11月、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)の決勝第2戦で、浦和レッズが10年ぶり2度目のアジアの頂点に立った夜の出来事だ。興梠選手は試合後、牛丼チェーン「吉野家」を訪れ、店にいた客全員の支払いを済ませた――というもの。記者会見で話題にされると「牛丼屋だけおごったわけではなく、行くお店行くお店で僕が払ったが、なぜかそこだけ取り上げられる形になって」と答え、会場の笑いを誘った。

「タイトル獲得、監督目指す」

 引退後のビジョンとしては「裏方として、浦和レッズをサポートしていきたい」。目指しているのは、浦和レッズの監督であるとも。「自分が取れなかったJリーグのタイトルを取りにいく。まずは下積みから一生懸命やっていって、なるべく早く浦和レッズの監督にたどり着けるように頑張りたい」

 J1では524試合に出場した(7月30日時点)。ポストプレーでは体をうまく使ってボールをキープしたり、ディフェンスの裏に抜け出してゴールを決めたりといったシーンが記憶に残る。「俺にボールを出せばゴールを決めてやる」という意欲を全身にみなぎらせるストライカーとは違うプレースタイルだ。記者会見では「自分を犠牲にしてでも、チームが勝てばいいという考えでここまで来た」とも述べた。その一方、仲間からパスを引き出す力は秀逸だ。仲間との関係性については「一番重視していたのは、その人の癖。(ボールの)出し手の癖で、このタイミングと、一歩遅く出してくるタイミングというのが人にはある。そのタイミングを見極めて自分から動き出すことが重要」と話した。

 13年に鹿島アントラーズから浦和レッズに移籍してきた時には「どうにかしてサポーターの気持ちを、心をつかんで認めてもらうんだという気持ちで来た」という。そして引退を表明したこの日は、浦和レッズに入って良かったと思うことの一つに、自分のチャント(応援コール)ができたことだと挙げた。

 浦和レッズのサポーターは、たとえリードを許していても、背番号「30」を背負うフォワードに向けて「ゴールを必ず決めてくれる。そして勝つ」と信じて大声でチャントを送る。

 「浦和のエース 行こうぜ慎三」

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