高校野球の「聖地」、プロ野球阪神の本拠として愛される阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が1日、開場100年を迎えた。球場を所有する阪神電気鉄道株式会社の久須勇介社長(63)に、甲子園の未来について聞いた。

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 ――阪神電鉄にとって甲子園球場はどのような存在ですか。

 100年前にわずか4カ月半の期間で、収容人員8万人規模の球場を完成させました。そして、いま、世界的にも名前が知られる大きな財産になっています。球場建設に合わせて駅ができ、住宅が広がり、現在の街並みにつながりました。

 そのような歴史的な背景を踏まえ、阪神甲子園球場には二つの側面があります。まず、高校野球の聖地、阪神タイガースの本拠地として日本の野球文化を牽引(けんいん)する存在です。もう一つは、弊社の経営理念である、夢、感動をお客さまに届けられる象徴的な存在です。

 ――昨年は18年ぶりにタイガースがリーグ優勝、38年ぶりに日本一になりました。

 甲子園球場100周年記念事業が動き始めた中での日本一でした。注目を集めるという意味でも、球場100周年の追い風になったというのは間違いないと思います。タイガースにとって今年は初の連覇がかかった重要なシーズン。100周年にふさわしい戦いをお見せしないといけません。

 ――業績面ではいかがでしょう。

 阪急阪神ホールディングスの23年度の決算が営業収益9976億円、営業利益が1056億円でした。コロナ禍からの回復によって各事業が順調に推移したことも当然あるが、それに加えてタイガースの優勝、日本一によってスポーツ事業が非常に貢献した。

 前年比120億円の増収、38億円の増益。コロナ禍で生活様式が変わった部分もあるが、やはり、生でスポーツを見る感動、応援する楽しさを再認識していただいた1年だったのではないかと思っています。

 ――高校野球の甲子園大会開幕も迫っています。

 もとをたどれば高校野球のために建設した球場です。今も春と夏の大会の会場として、全国の高校球児がめざす場所となっている。今後も球児やそれを支える方々のあこがれ、目標の場であり続けることができれば幸いです。

 ――時代に応じて改修を繰り返してきました。

 昨年、暑さ対策として、アルプス席の銀傘拡張の構想を発表しました。選手はもちろん、選手とともに戦う応援団の方々にもより安心、快適に過ごしていただきたいと思っています。

 ――球場をドーム化するべきでは、という声もあります。

 甲子園球場は歴史と伝統の継承をコンセプトに改修を繰り返してきました。我々には、培ってきた歴史と伝統を次世代に引き継ぐ責務があります。高校野球やプロ野球の開催を継続しながらドーム化を進めるのは非常に難しい。甲子園という舞台を高校球児に毎年用意するという責務もありますし、タイガースファンに、この球場で毎年、夢と感動を与えるべく奮闘することも必要です。戦前から、ベーブ・ルースら多くの人がプレーし、思い出が詰まった場所。それを守り、これからも紡ぐことが重要だと考えると、おのずと答えが見えてくる気がします。

 甲子園球場のグラウンドに立つと、スタンドと空しか見えない。基本的には、他の人工物が何も見えず、野球に没頭できる。プレーしている選手にとっては最高の舞台だと思うんです。

 ――だから「聖地」と呼ばれるのでしょうか。

 100年の長きにわたってそこで数々のドラマが生み出されたことで、みなさんが聖地と呼んでくれているのかなと思います。そういう意味では、球場の役割としては、野球の楽しさを伝え、野球の文化をもり立てる。この二つの責務があると思っています。

 一つ目の野球を楽しむためには、球場でライブ観戦をしていただくことです。迫力、臨場感は何ものにも代え難い。球場全体が一体となった高揚感は球場に来ていただかないとわからないものがあると思います。

 二つ目の野球文化をもり立てるという視点では、甲子園歴史館による伝統、文化の継承のほか、阪神タイガースのアカデミーというベースボールスクールも開校しています。次世代のプレーヤーやファンづくり。また、これからは女性にも野球に親しみを感じていただきたい。女子野球の振興にも注力して、タイガースウィメンも数年前に発足させました。

 阪神電車が難波まで乗り入れて今年で15年です。その阪神なんば線の、西九条の先のトンネルの入り口のところに、「招福大業」という四字熟語が飾ってあります。中国の書経に出てくる言葉なんですが、「前の時代からの偉大な事業を継承して、この先の世の中を安定、発展させましょう」という意味です。トンネル工事をやった当時の社長の希望なのですが、この思いは甲子園球場にとっても同じだと社内で言っているんです。100年前の先輩方がやった偉大な甲子園球場開発、そして、紡いできた歴史を、次の世代に伝えて発展させましょう、と。

 ――そういう意味では、昨年のオリックスとの日本シリーズは、その路線で互いの本拠を行き来できた。感慨深かったのでは。

 一般的には「関西ダービー」と言われていましたけれど、我々としては、「なんば線シリーズ」と言っていました。工事に携わったゼネコンさんたちも、やっとですね、と喜んでくれました。

 ――甲子園球場やその周辺の新たな開発はどのように考えていますか。

 スポーツを核とした甲子園エリアは、重点エリアです。活性化推進協議会を開き、西宮市、武庫川女子大、企業などと連携しながら取り組んでいます。今年4月には西宮市と連携して、自動運転バスの公道実験もやらせてもらいました。住宅地として開発した街も100年が経った。交通関係をどうするか、ということも考えています。

 これからのキーワードは「サステイナブル」だと思います。一歩ずつ進みながら、将来にわたって親しまれ愛される球場をめざします。大きな周辺開発や投資計画は新たに発表することはないですが、銀傘の拡張構想、尼崎市に建設中のゼロカーボン球場の2軍施設など、お客様、地域のみなさまにプラスになる計画を推し進めたいと思っています。

 ――甲子園でもそういう観点からの投資、施策は考えていますか。

 以前から環境保全プロジェクトはやっています。銀傘の上の太陽光発電や雨水を散水に使うなど、できることはやっています。甲子園でやっている、というのは発信力にもなる。環境問題は避けることのできない社会課題ですから、環境対策についても先進的でなければならないと思っています。

 ――甲子園球場の次の100年に向けて、どういう未来を思い描いていますか。

 甲子園というブランドを守る、ということです。野球に限らず、高校生のナンバーワンを決める大会で、カルタ甲子園、漫画甲子園、俳句甲子園……と言われるようになりましたが、最近は高校生の枠も超えて、大人も含めて日本一を決めるものに、「○○甲子園」と名付けられています。

 甲子園は我々の手を離れ、ブランドとして日本一、頂上を決める場所、舞台となっています。みなさんがそう思っていただけるのなら、その思いや期待を壊すことのないように、しっかりと甲子園という3文字、そのブランドを守っていきたいです。我々ができることは、みんなの思い出に残るような、舞台装置と運営をしっかりやること。そこに尽きると思います。

 ――この100年で、甲子園が大きな存在になった、と。

 甲子園が日本人の精神性の中に入ったのだと思います。だから、我々はそれを守る責務、責任感があるんです。(聞き手・山口裕起)

 くす・ゆうすけ 1984年、岡山大工学部を卒業後に阪神電鉄入社。自動車部長を経て阪神バス社長、阪急阪神不動産副社長などを歴任。20年に阪神電鉄専務、23年4月に社長に就任した。

甲子園球場100周年。100年前の建設当時の姿を3DCGで再現。球場トリビアや写真ギャラリーも掲載

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