パワフルなスマッシュと鋭い回転のドライブを掛け合わせた「カミソリドライブ」を武器に、パリ・オリンピック卓球男子シングルスに出場している津市出身の戸上隼輔選手(22)=井村屋グループ。幼い頃から市内の松生(まつお)卓球道場に通い、基礎技術を身につけた。30日にシングルス2回戦を突破した戸上に、道場主の松生幸一さん(78)は「力の限り頑張ってほしい」とエールを送る。
高校時代に卓球でインターハイに出場し、銀行員として勤めながら競技者を続けた松生さんは2006年、私財を投じて津市半田に道場を開いた。退職して「日本一の選手を育てる」という夢をかなえるためだ。約450平方メートルの道場に世界大会で使える規格の卓球台を12台をそろえ、床下にはバネを入れて選手の足腰に負担がかからない仕様にしてある。
両親と兄2人も選手という卓球一家で育った戸上。兄が通う道場には小学2年の時に初めて来た。放課後に直行した道場でまず宿題を終え、練習を始める毎日。楽しそうにラケットを振る姿を見た松生さんは「リズム感というか『球感』に優れていた」と振り返る。
道場では卓球台を2台並べて左右に振った球をフォアハンドで打ち返す基礎練習に励んだ。柔軟性があり、言われたことをすぐに吸収できた。ただ、体が細かった。松生さんは、重くて速い球に押されない体幹やコントロールをつけさせようと練習相手に大学生を選んだ。「いずれ三重を代表し、全国で活躍する選手になる」と直感していた。
小6で全日本卓球選手権男子ホープス(小6以下)2位の成績を収めると、強豪中学から注目される存在になった。しかし、公立中学に進学した戸上は全国中学校体育大会で初めての挫折を味わう。まさかの3回戦敗退。悔しさから「競争が激しいところで力を磨きたい」と訴えた。編入先に選んだのは山口県の野田学園中学。松生さんは「隼輔が決めたなら、行ってこい」と背中を押した。
その後の活躍は松生さんの期待以上。戦いの舞台を世界に広げ、22年の全日本卓球選手権で初優勝して松生さんの夢をかなえた。翌23年には2連覇を遂げ、パリ五輪の代表選手に選ばれた。
試合では激しく攻撃的なプレーが持ち味の戸上だが「性格は温厚で優しく、気遣いができる子だ」と松生さん。今でも年に1度は道場に来て子供たちに卓球を教える姿に「心に余裕があるな」と感心するという。
「隼輔に元気をもらった」と喜ぶ松生さんは「メダルを見たい。色は何でも」とパリで躍動を願う。
戸上は次が3回戦。団体では8月5日に8強入りをかけてオーストラリアと対戦する。【下村恵美】
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