パリ五輪柔道女子63キロ級代表の高市未来(旧姓田代)=コマツ=は過去2大会でメダルを逃した。「今度こそ」という重圧はない。「絶対に取るではなく、一つ一つ(の試合を)しっかり戦い、金メダルに向かって進みたい」。2021年東京五輪までの自分とは違う。柔道を楽しめている。支えてくれる夫もいる。競技人生で感じたことがないほど穏やかな気持ちで30日、3度目の大舞台に立つ。(渡辺陽太郎)

リオデジャネイロ五輪・女子63キロ級3位決定戦でイスラエル選手(左)に敗れた高市未来(旧姓田代)=2016年8月

◆「勝つことだけを考え」敗れたリオと東京

リオデジャネイロ五輪・女子63キロ級3位決定戦でイスラエル選手に敗れ、涙を流して引き揚げる高市=2018年8月

 東京都出身。立ち技も寝技もこなす万能型で中学から世界を舞台に戦った。エリート街道には11年の左膝前十字靱帯(じんたい)断裂など、けがもつきまとった。そのたびに必死のリハビリで乗り越えた。五輪で金メダルという強い思いがあった。  16年リオデジャネイロ五輪は5位、21年東京五輪は2回戦敗退で「悔しさしか残らなかった」。東京では大会前のけがも影響した。だが、高市はそれを言い訳にせず「勝つことだけを考えて、自分を型にはめていた。そうしないと不安だった。そんな柔道をしていた」と敗因を語る。

◆「だから自分は柔道が好きになった」復帰戦で得たもの

東京五輪・女子63キロ級2回戦でポーランド選手に敗れ、ぼうぜんとする高市=2021年7月

 転機は22年10月の講道館杯だった。左膝の手術を経て1年3カ月ぶりの復帰戦で、翌月に柔道男子元日本代表の高市賢吾さん=現・台湾代表コーチ=との結婚を控えていた。心が折れかけており引退も考えていたが、試合が始まると懐かしい気持ちになった。「楽しい」「わくわくする」。小学生以来だった。するとオール一本勝ちで優勝できた。  東京五輪までは勝ちにつながらない戦い方や技があると、「どうしてできないのか」と悩むだけ。勝利に直結する技に固執してしまった。講道館杯は復帰戦のため試行錯誤しながら戦った。高市は「小学生のころは技がかかればうれしかった。できなくても上達する喜びがあった。だから柔道が好きになったんだ」と思い出した。  型にはまった戦い方をせず、体形や動きに合わせて、できることを考えていく。心、体との対話を心がけ、新たな戦い方を見つける柔道には「限界がない。私はもっと柔道を楽しんでいいと思えるようになった」。技のキレや精度はよくなった。12月のグランドスラム(GS)東京、マスターズ大会と国際大会2連勝。23年も好調を維持しパリ切符をつかんだ。

◆指導者の夫から影響「マイナス思考も変わった」

並んで撮影に応じる高市(左)と五輪連覇を狙うアグベニェヌ=2023年3月、東京都港区のフランス大使公邸で

 賢悟さんの存在も大きい。台湾で離れて暮らすものの、帰国時は練習相手も務める。高市は「現役で頑張り、五輪に挑戦することはすごいと、常に肯定してくれる。私のマイナス思考も変わってきた」とはにかむ。賢吾さんは6月下旬のオンライン取材で「一度でもすごいのに3回目の五輪。本当に尊敬している」と思いを話した。偽りのない言葉は高市の心を安定させてくれる。  開幕2カ月ほど前から組み手や技、動きも「今までで一番いい」と感じている。勝ちしか見えず、表情をこわばらせていた自分はもういない。立場もチームも違うが、最愛の夫もパリでともに戦ってくれる。東京五輪金メダルで地元の大声援を受けるクラリス・アグベニェヌ(フランス)との対戦も楽しみにしている。「今の自分を表現してきます」。30歳の穏やかな表情から強さがあふれ出ていた。 

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