“スポーツには課題を解決する力がある”

24歳のアル バッワーブ選手は、これまでの大半をUAE=アラブ首長国連邦などで過ごしましたがパレスチナ難民の父を持ち、自身の心のふるさとはガザ地区にあるしています。

一方で、パレスチナでは競技環境が整わず、ドバイにある父親が経営する工場など複数の職場で働きながら、自費でプールを借りてトレーニングに励んできました。

去年10月以降、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘が激化するなか、知り合いのアスリートを失うなど大きな悲しみを味わいました。

ことし4月、NHKのインタビューに対し、「パレスチナでは多くのスポーツ施設が破壊され、アスリートだけでも200人近くが命を落とした。ことばにならない」と苦しい胸の内を明かしました。このとき、イスラム圏の国を中心に、パレスチナへの攻勢を強めるイスラエルの選手をオリンピックに出場させるべきではないとする議論が巻き起こっていました。

それでもアル バッワーブ選手は「自分たちパレスチナ人が不平等な環境におかれていることには間違いないが、競技において政治とは距離をおきたい。暴力は好きじゃないし、世界中の人たちと同じように人間らしく普通に幸せに暮らすことだけを願っている。スポーツには課題を解決する力があると思っている。自分は水泳選手なのでパリオリンピックには泳いで勝つために行く」とあくまでスポーツと政治を切り離し、いちアスリートとしてできることをしたいと考えていました。

“パレスチナにスポーツが戻れば 笑顔が戻ってくる”

その後、2回目のオリンピックの切符をつかみ、パリでのレースに臨んだアル バッワーブ選手。胸元にはパレスチナの国旗をペイントであしらい、ふるさとで生きる人たちとともにオリンピックの舞台に立っていることを表現しました。

また、レースの前には、平和への願いを込めて指でピースサインを作って掲げました。予選通過はならず、悔しい結果に終わりましたが、精一杯の泳ぎを見せました。

レース後、アル バッワーブ選手は、「スポーツは平和につながる道だと思う。しかし、いまパレスチナにはスポーツがない。もしパレスチナにスポーツが戻ってくれば、人々はそれに集中でき、生活に楽しさ、笑顔が戻ってくると思う。私たちのふるさとには食べ物もなくプールもない状況だ。それでも、このような世界規模の大会に出て自分の名前を知ってもらい、パレスチナの状況を知ってもらえる機会を持てたことを光栄に思う」と政治的なことばを避けながらも話しました。

『平和の祭典』とされながら世界で分断が深まるなかで開かれているパリオリンピック。アル バッワーブ選手のことばはオリンピックとは何か、スポーツとは何かを問いかけています。

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