95校88チームが出場した今夏の茨城大会は、2年連続で決勝の舞台に立った霞ケ浦が、5年ぶり3回目の優勝を果たした。シード上位のチームが大会の中盤で相次いで敗れ、ノーシードの守谷が4強に入った。低反発バットの導入や初の継続試合など、変化に富んだ大会になった。(古庄暢)

 1年間の公式戦の実績で決まるAシード4校のうち、優勝候補に挙げられた常総学院を含め、鹿島学園、水戸一の3校が準々決勝までに姿を消した。「『必ず追いつく』って気持ちが、『いつかは打てる』になっていたのかもしれない」。4回戦で敗れた常総の武田勇哉選手(3年)の言葉から、一発勝負の夏に勝ち上がる難しさを感じた。

 ほかにも、選手らの言葉から大会を振りかえる。

 今年は12校が5つの連合チームを組んで出場した。1回戦では、古河二と総和工・三和・結城一が対戦。古河二は、春までこの3校と連合を組んでいた。抽選にもかかわらず、最後の夏に互いを引き合う、まるでドラマのような展開。「負けて複雑だけど、最後の相手があいつらで良かった」。敗れた古河二の星野嵩斗選手(3年)が、涙ながら話す姿が印象的だった。

 紙面で紹介しきれなかったエピソードもあった。

 3回戦で鹿島学園に敗れたつくば国際大の山口愛叶主将(3年)は、母・ゆき子さんの手作りのお守りに「必勝」の願いをかけ、大会に臨んだ。

 昨夏も出場し、2回戦で敗れた。新チームは秋と春の大会は地区予選止まり。結果が出ない日々にもくじけず、挑んだ最後の夏、去年より1歩前に進んだ。「やればできるって、証明できたことが何よりの自信です」。試合後、胸を張っていた。

 決勝は、2年連続の霞ケ浦と、これまで8強が最高成績だったつくば秀英との対戦となった。

 敗れたつくば秀英の桜井健監督(27)は就任2年目で、同校が初めて指揮をとるチームだ。今夏の3年生たちとは、1年半の付き合い。当初は、自己主張が強く、指導に苦労が絶えなかったという。

 だが今夏、学校の歴史に新たな1ぺージを刻んだ3年生たちの成長に、試合後「3年生みたいなチームになれよと、下級生たちに伝えたい」と、目を細めていた。

 霞ケ浦は、1949年の初出場以来、今夏が10度目の決勝進出だった。うち、甲子園に出たのは2度。昨夏は注目投手を擁しながら、九回に3点差を覆された。「シルバーコレクターとは呼ばれたくない」。2001年から指揮をとる高橋祐二監督(64)の、準決勝後の一言に並々ならぬ思いを感じた。

 今夏、飛び抜けた実力を持つエースはいないが、タイプの異なる左右4枚の投手が奮闘。決勝は打線も11安打と力を見せ、3度目の「金」を手にした。

 優勝を決めた高橋監督は「力のないチームが団結すれば、ここまで来れるんだ」と感慨深く話した。

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 今夏の茨城大会では、低反発バットの使用が初めて義務づけられた。

 朝日新聞の集計では、本塁打は全87試合で計13本(ランニングホームランを含む)。昨夏の第105回大会(全88試合)の24本からほぼ半減した。同様に、三塁打は約71%、二塁打は約87%に減った。

 天候なども影響するため単純に比較はできないが、飛距離が必要な本塁打の減り幅が大きかった。

 出場95校に朝日新聞が大会前に行ったアンケートでは、低反発バットの導入を受け、「低く強い打球を意識して打っている」(多賀・小林晃大主将)や、「強いライナー、速い打球を打とうと意識する選手が増えた」(日立北・川井一稀主将)と、遠くに飛ばすことよりも、確実な出塁につながる打撃を意識した回答が多かった。

 低反発バットは、甲子園では今春の選抜大会から導入。最大直径が64ミリ未満で、従来のものより3ミリ小さい。飛びにくくなることで、投手の負担軽減や打球が選手に当たった場合のけが防止につながる。

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