メダル第1号はテニス熊谷一弥 1920年アントワープ大会

日本は初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルム大会で、メダルを獲得できませんでした。

2回目の参加となったのは、1920年のアントワープ大会。日本のテニス界の黎明期を支えた熊谷一弥選手が、男子シングルスで銀メダルを獲得し、日本のメダル第1号となりました。

さらに1928年のアムステルダム大会では、陸上男子三段跳びで織田幹雄選手が日本選手で史上初となる金メダルに輝いたほか、陸上女子800メートルでも、人見絹枝選手が銀メダルを獲得して日本の女子で初のメダリストとなりました。この2人の名前を冠した大会が今も行われています。

戦後~ 東洋の魔女や “お家芸”競技 活躍続く

戦後は、より多くの競技に活躍が広がり、1964年の東京大会では「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子が金メダルを獲得しました。

体操男子の活躍もめざましく、1972年のミュンヘン大会では、日本選手としてオリンピック最多となる8個の金メダルを持つ加藤澤男選手を中心に、個人総合・鉄棒・平行棒の3種目で、日本勢が表彰台を独占。

1976年のモントリオール大会にかけて、団体で5連覇を果たすなど「美しい体操」が世界を席けんしました。

選手たちの活躍は当時、普及していったテレビを通して伝えられ、戦後からの復興を目指す日本の人たちを勇気づけました。

その後も「お家芸」と呼ばれる体操、柔道、競泳、レスリングの4つの競技を中心に活躍が続き、1984年のロサンゼルス大会では1つの大会で獲得したメダルの数が初めて30個を超えました。

平成~ “やわらちゃん” “なんも言えねえ” 記憶残る選手たち

平成以降も競泳の岩崎恭子選手が当時、日本の選手として最年少となる14歳で金メダルを獲得。

「やわらちゃん」の愛称で親しまれた田村亮子選手は、結婚して姓が谷に変わったあとも含め、5大会連続でメダルを獲得しました。

さらに競泳男子の平泳ぎで2大会連続の2冠を達成し、レース後の「ちょー気持ちいい」「なんも言えねえ」といったコメントが、ファンの心を打った北島康介選手など、記録にも記憶にも残る選手たちがオリンピックの表彰台に立ってきました。

そして2016年のリオデジャネイロ大会では、海外の大会で最多となる41個を獲得。3年前の東京大会でも、金メダル27個を含む歴代最多の58個を獲得するなど、日本勢が夏のオリンピックで獲得したメダル総数は499個となっていました。

パリ大会 柔道・角田が金 メダル総数500個達成

そして、パリ大会で柔道女子48キロ級の角田選手が金メダルを獲得し、日本選手がオリンピックに初参加してから112年、獲得したメダルが500個に達しました。

さらに直後に柔道男子60キロ級で永山竜樹選手が銅メダルを獲得しメダルの数は501個となりました。

内訳
▼金メダルが170個
▼銀メダルが150個
▼銅メダルが181個

競技別
▼体操が103個(全体の20%余り)
▼柔道がついで98個(金メダル数では最多49個)
▼競泳が83個
▼レスリングが76個

JOC 今大会55個獲得へ 金は20個目標

JOC=日本オリンピック委員会は、パリ大会のメダル目標について、海外で行われたオリンピックでの過去最多を超える金メダル20個、総数では55個の獲得を目指しています。

パリ大会では、メダル獲得の歴史にどんな1ページが刻まれるか期待が高まります。

一方、冬のオリンピックで日本はこれまでに76個のメダルを獲得しています。

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