池江選手は前半から積極的なレースを見せ、3番手で折り返しましたが、後半は上位の選手に引き離されました。

池江選手は、ことし3月の代表選考の大会でマークしたタイムよりも遅い57秒79のタイムでフィニッシュし、全体の12位に終わり、上位8以内に入ることができず、目標としていた決勝進出はなりませんでした。

池江「また4年後リベンジしに帰ってきたい」

準決勝のあとのインタビューで池江選手は「正直、頑張ってきた分だけむだだったのかというレースでした。最後は勝負の世界なので、勝てなきゃ意味ないですし、本当に自分の力を出し切れずに終わってしまった。また4年後、リベンジしに帰ってきたい」と、ことばを詰まらせながら話していました。

東京大会出場後から苦しい時間

「池江が世界に戻ってきたと思ってもらえるような、そういう選手になってオリンピックに戻りたい」。
代表内定後にこう語っていた池江選手。

白血病と診断されてからおよそ2年で、東京大会の切符をつかみリレーメンバーとして出場。
しかし、そこから苦しい時間を過ごしました。

得意の100メートルバタフライで、タイムがなかなか伸びず、去年、福岡市で行われた世界選手権では予選落ち。

「すべてが分からない状態」と、トンネルから抜け出す解決策を見いだせない中、池江選手は去年の秋、1つの決断をします。

「何かがダメになったら何かを変えなければいけない」。
練習の環境をリセットすることでした。

環境新たに挑んだパリオリンピック

選んだのはオーストラリア。
名将マイケル・ボールコーチのもとで、練習を積むことにしたのです。

数々の有力選手を育てたボールコーチは、厳しい練習とともに、選手の自信を呼び起こすようなコーチングに定評があり、現在も東京大会で7つのメダルを獲得したエマ・マキーオン選手など、世界のトップ選手が指導を受けています。

「とにかく強くなりたい」という思いを持って、早朝からトレーニングをし、休憩を挟んで午後も練習。

まさに「水泳しかない状況」に身を置き、池江選手の心にも変化が表れてきました。

池江選手は「オーストラリアにいって、前向きな気持ちを取り戻せるようになった。周りが世界トップレベルの選手たちなので、追いつこうという気持ちがあるだけで、すごく強くなれる気がする」と明かしていました。

池江「自分もノミになって 信じてやるしかない」

時には、自分をノミに例えました。

ノミは瓶に入れられふたをされたらそのふたに届かない程度のジャンプしかできなくなりますが、ふたを外してほかのノミと一緒にいたら、また高くジャンプできるようになるという話を聞いたといいます。

池江選手は「自分もノミになってみようと思って。周りの選手たちに追いつこうっていう気持ちで、自分も高く飛べるんじゃないかと、信じてやるしかない」と環境の変化で前向きなメンタルを取り戻していきました。

オーストラリアでのトレーニングを経て、ことし3月の代表選考の大会では個人種目でパリへの切符をつかみ、確かな前進を感じて3回目のオリンピックに臨みました。

池江選手は「拠点も変えて結果も出てきたということで、改めて水泳が好きだなと思わせてもらえた。気持ちを戻すことができたことは、少しは成長かなと思う」と話していました。

再び世界のトップを目指して

環境のリセットで水泳への向き合い方を取り戻した池江選手。
決勝進出はならなかったものの、2大会ぶりに個人種目で出場したオリンピックでの経験を胸に、再び世界のトップを目指します。

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