26日に開幕するパリ・オリンピック。初出場するサーフィン日本代表、稲葉玲王(れお)選手(27)=千葉県一宮町=は、特別な思いがこもった銀色のヘルメットを会場となるタヒチ(フランス領ポリネシア)に持参する。憧れのサーファーが愛用したのと同じデザイン。早世したそのサーファーは、大きく巻いた筒状の波をくぐり抜ける大技が得意で、ヘルメットの色にちなんで「銀色の弾丸」と称された。
千葉県出身で屈指のプロサーファーだった、小川直久さん。2023年に51歳で亡くなった。
五輪を控えた6月、地元・一宮町のホテルであった稲葉選手の壮行会でそのヘルメットはお目見えした。会場に詰めかけた地元の小中学生やプロサーファー仲間ら約200人を前に、稲葉選手は時折言葉を詰まらせ、涙ぐみながらこう語った。
「現役を最後まで貫き、世界の大会に日本人が出ていけるようにレールを敷いてくれた一人。(パリ)五輪にも一番行きたかったと思う。遺志を継いで、力をもらえたらと思って……」
2人の年の差は親子ほど離れている。だが、同じ千葉出身で当時、国内最年少の13歳でプロサーファーとなった稲葉選手のことを、小川さんは日ごろから気にかけていた。
小川さんの弟でプロサーファーの幸男さん(39)によると、小川さんは稲葉選手のサーフィンの技量だけでなく、相手のことを常に尊重して、気遣いができる人間性も評価していた。
小川さんは1972年、同県天津小湊町(現鴨川市)で生まれた。12歳でサーフィンを始め、95年には国内最高峰のタイトルである日本プロサーフィン連盟(JPSA)のグランドチャンピオンを獲得した。
01年には米ハワイ・オアフ島のパイプラインであった伝統ある大会「パイプラインマスターズ」で日本人初となる10点満点を出し、サーフィン界を驚がくさせた。その後、JPSAの副理事長に就任。選手として第一線で戦いながら、国内のサーフィンの普及に尽くした。
しかし、20年に大腸がんを患っていることがわかり、闘病の末、23年5月に帰らぬ人になった。
幸男さんによると、大きく巻いて崩れる波の下をくぐり抜ける大技「チューブライディング」が小川さんの得意技だった。
筒状になる波「チューブ」は世界的にも、パリ五輪の会場となる南太平洋のタヒチ島チョープーなど一部のエリアでのみ起こるとされ、波にのまれた時に頭を守るためにヘルメットを着用するサーファーもいる。
小川さんは銀色のヘルメットを愛用し、海外メディアが「シルバーバレット(銀色の弾丸)」と取り上げたこともあった。
稲葉選手は五輪出場が正式に決まった3月、小川さんの妻美穂さん(53)が経営する鴨川市内のサーフショップを訪れ「ナオさん(小川さん)のデザインのヘルメットで、五輪に挑みたい」と打ち明けた。
美穂さんは「玲王のナオさんに対するリスペクトの気持ちがうれしかった」とこれを快諾した。「ナオさん、玲王のことをよろしく。良い波に乗れるよう見守って、という気持ち」と今の心境を明かす。
パリ五輪のサーフィン競技は日本時間で28日に始まる。このヘルメットを競技時に着用することができるか否かは、現地で判断を仰ぐ必要があるという。着用できない場合、稲葉選手は小川さんに競技を見守ってもらうため、海が見える会場のどこかに置いて「世界で最も美しく、危険」と評されるビッグウエーブに挑むつもりだ。【松尾知典、高橋秀郎】
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