メダリストの薫陶を受け、10代の若き選手がパリ・オリンピックの舞台に立とうとしている。アーティスティックスイミング(AS)日本代表「マーメイドジャパン」の一員に選ばれた島田綾乃選手(18)=鈴鹿高3年=をみえASクラブ(三重県鈴鹿市)で導き、支えたのがアトランタ五輪から3大会連続で出場し、五つのメダルを手にした武田美保コーチ(47)だ。夫で前県知事の鈴木英敬衆議院議員とともに拠点を三重に移した武田コーチは愛弟子に自身の経験を惜しみなく注いできた。
19日に鈴鹿高で行われた壮行会でのことだった。島田は日本代表にまで成長できた理由を問われると、武田コーチの存在を挙げ、「演技への的確なアドバイスやコーチの経験、大会に臨む気持ちを教えてもらったおかげ」と感謝を伝えた。
武田コーチは9年前、体験会に参加した当時小3の島田と初めて出会い、「立ち姿がきれいな子」と印象を持ったという。島田は幼いころから水泳を習っていたこともあり、その後も見よう見まねで立ち泳ぎもこなしていた。
本格的な指導を始めたのは島田が小6の秋から。言ったことをスポンジのように吸収し、「理解する力と修正する能力が高い子だ」と感心したことを思い出す。数カ月後の国際大会ではメダルも獲得した。
新型コロナウイルスの影響で遠征の機会に恵まれなかった中学の3年間をはさみ、大きく飛躍したのが高1で出場した22年世界ジュニア選手権(カナダ)だった。チームのほかに男女の混合デュエットに出場し、テクニカルルーティン(TR)とフリールーティン(FR)でともに優勝した。
男子選手に見劣りしない力強さや技術で表現力が向上し、武田コーチは「『三重に島田がいる』とアピールできた」。高2で初めてシニアの日本代表に選ばれると、23年10月の世界選手権(福岡)ではチーム・FRに出場し、銀メダルに輝いた。
順調だった島田に試練が襲ったのは世界選手権後だった。練習中に右手甲を骨折。24年2月にパリ五輪の出場権を懸けて争われる世界選手権(カタール)を控え、右手は1カ月間の固定を強いられた。
だが、島田は「やれることをやるだけ」と右手を使うことのない体幹トレーニングや心肺機能を高めるためのバイクトレーニングに取り組んだ。見守っていた武田コーチが「(島田)綾乃は筋肉の『よろい』がついた。故障した時に取り組む姿勢は私が教えてもできない」と語るほど努力を怠らず、世界選手権でチーム・TRで日本の銅メダルに貢献し、自身の五輪出場にもつなげた。
武田コーチは島田について「体の使い方がうまい。足技に力がある」という。島田自身も足技を得意とし、特に足から水上に高く飛び上がる「スラスト」に自信を持つ。
ASは23年にルールが変わり、フィギュアスケートのように技ごとの採点となった。「ミスが大きな失点につながるので、順位が変動する可能性は大きい」と武田コーチ。自らも経験し、メダルも手にした五輪に向けて「自分を信じて演じきってほしい」とエールを送る。【下村恵美】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。