「自分に裏切られるのが耐えられなかった」
福岡を拠点にフィギュアスケートを続ける男子シングルの松岡隼矢選手は半年間、競技から距離を置いた。2022年11月の東日本選手権で結果が残せず、全日本選手権への切符を逃したことがきっかけだった。
熊本県出身の松岡選手は幼少期から氷上のスポーツに慣れ親しんできた。地元でスケートクラブ「熊本バンビーニクラブ」を立ち上げた祖父の影響で、ホッケーやスピードスケートも経験。6歳の時にキッズスケーターとして「ディズニー・オン・アイス」に参加し、そこからフィギュアスケートに没頭した。
中学校は地元を離れ、スケート部がある福岡市の隆徳館中に入学。高校時代は母も福岡に来て、3年間共に暮らし支えてもらった。まさに生活の中心がスケートだった。卒業後は法政大の通信課程で学び、福岡で競技を続ける道を選んだ。現在は2歳上の姉と2人で暮らしながら、「福岡フィギュアアカデミー」で練習に打ち込んでいる。
同アカデミーはオーヴィジョンアイスアリーナ福岡を拠点に、小学生から大学生まで約50人の選手が在籍。松岡選手は小学生の時から師事する石原美和コーチらの指導を受ける。
取材での印象は爽やかで律義。その笑顔の奥には、ひたむきにスケートと向き合う日々が垣間見える。だからこそ、成果が試される舞台で、「自分に裏切られた」苦痛は想像を絶する。
21年シーズンはジュニアグランプリシリーズの選考会に出場するなど上々だった。しかし、勝負がかかる翌年は、ブロック大会からボロボロ。練習ではうまくいっても「本番に弱い」。前日までの自信がリンクに立つとウソのように消える。まるで自分の足ではないように、ふわふわとした足取りで満足に演技できないことが続いた。
迎えた東日本選手権で結果が出ず、完全に心が折れた。その時点で未練は一切無かった。長い間、練習を続けていた福岡を離れて熊本へ帰郷。アカデミーのコーチらに「戻っておいで」と優しく諭されても、言葉は全く心に響かなかった。
地元の友達と遊ぶ時間が増え、氷上を離れた生活が半年続いた23年6月、友人の鍵山優真選手から連絡が届いた。「アメリカから篠原泰良選手が来日するから、福岡のリンクで練習するけど来ない?」。鍵山選手の誘いで、久しぶりに福岡のリンクに足を運んだ。思えば、こんなに氷上を離れたのは初めてだった。「あなたも滑ったら?」。石原コーチの声が再び銀盤に呼び戻してくれた。
それから練習を再開。週3日から4日、梅雨空の下で気がつけば毎日リンクに通う生活に戻っていた。8月のげんさんサマーカップから再び競技に復帰したが、昨年も全日本選手権には届かなかった。競技を離れた前年が頭をよぎったが、ここで逃げては自分が報われないと奮い立たせた。
そんな矢先、高橋大輔さんがプロデュースするアイスショー「滑走屋」の出演依頼が舞い込んだ。「親も先生も続けてて良かったねって喜んでくれました」。練習は楽しくて好きだが、競技の本番では一度もそう思えたことがないという松岡選手にとって、スケートの新しい魅力に触れた時間だった。「初回公演は緊張したけど、2回目からは心から楽しんで演技できた」
大学3年生となった今季、狙うのは年末の全日本選手権出場。毎日続ける練習の話を聞いて驚く私に「どの選手もそれぞれの環境で日々戦っているんです」とつぶやいた。結果が出るのが勝負の世界。「僕は他者と戦う前にまずは自分と戦って勝たないといけないんです。それからが始まりです」
7月に入り、シーズン初戦のサマーカップまで1カ月。松岡選手はスケート靴を新調した。練習を終え、靴のブレードを見ながらリンクを後にした。だが、しばらくすると再びリンクに戻ってきた。帰ったと思いきや、ブレードを調整し、「やっぱりもう少し滑ります」
黙々と靴をはき出した横顔を見ていると、思わずこちらが笑顔になった。2年前に取材した東日本選手権を思い出すと感慨深い。一度は氷上を離れた選手が今、納得がいくまでひとり練習を続けている。その姿がうれしく、わくわくした。
全日本選手権を目指す今シーズン。できる限り写真に残したい。軽やかにリンクに吸い込まれてゆく後ろ姿を見送り、心からそう思った。【吉田航太】
福岡で夢を追う選手らのフォトストーリー「from FUKUOKA」は随時掲載します。
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