(18日、第106回全国高校野球選手権東東京大会4回戦 淑徳3―0目白研心)

 甲子園で本塁打を放ったことがある監督に率いられ、快進撃を続けた目白研心の夏は、同校初の16強を目前に終わった。

 目白研心硬式野球部ができたのは、女子校から共学にかわった2009年。監督として請われたのが、新潟明訓で選手として甲子園出場経験があった鈴木淳史氏(42)だった。

 1999年の第81回選手権大会に、2年生ながら四番右翼手として出場。1回戦の宇和島東(愛媛)戦で、右翼ポール際へ大会第1号となる本塁打を放った。3年時は、主将も務めた。日本航空(山梨)のコーチ経験なども買われ、白羽の矢が立った。

 ただ、練習には工夫が必要だった。同校のグラウンドは50メートル×40メートルと狭く、他の部活と共用のため実戦練習は限られた。鈴木監督は「ないものねだりをせず、備わった環境で育む」という指導方針を掲げ、校舎の脇で行う筋力トレーニングなどに力を入れた。こだわったのは、「強く振る力」だ。

 今大会、その練習が花開いた。1回戦で昨年8強の文京、3回戦でシードの城西に勝った。強打で、創部初の「夏3勝」を手にした。

 16強をかけた18日の淑徳戦。淑徳の先発で下手投げの右腕・照井悠麒(3年)の緩急をつけた投球に、右打者8人の打線が沈黙した。鈴木監督は「割り切って打てなかった。チームの良いところを消されてしまった」。この日は持ち味の打撃が振るわず、無得点で敗れた。

 試合後、着替えを終えても涙を流す選手もいる中、鈴木監督は「高校野球で甲子園以外を目標にしたことはない。選手としても監督としても」と悔しさをあらわにした。そして、応援に駆けつけた保護者や生徒らの前で、「3年生は2年4カ月、全部信じてついてきてくれた。勝たせてあげられなくて申し訳なかったです」と頭を下げた。=大田(中村英一郎)

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