(16日、第106回全国高校野球選手権千葉大会3回戦、市原中央8―1柏井=7回コールド)
コールド負けが迫る七回裏、柏井の攻撃。唯一の3年生で三振に打ち取られた亀沢一太に、「内角に来る。お前なら行ける」と言われ、遊撃手の海老原空来(そら)(2年)が打席に立った。
野球を始めたのは小学3年生。習志野で遊撃手だった父・勝久さんに少年野球チームに入れられた。乗り気ではなかったけど、上達すると野球が楽しくなっていった。
高校に入っても試合を見に来てくれた。食卓は父からのダメだしタイム。一塁への送球が間に合わなければ、「肩が弱い」。捕球位置が悪かったら「もっと前だろ」。
父に口を酸っぱく言われたことがある。「やり始めたら、やり通せ」。予定した回数の素振りをしなかったとき、腕立て伏せをサボったとき。ことあるごとに言われた言葉だ。
5月4日の朝。6時半の目覚ましで起きると、足元で妹が目を赤くしてうずくまっていた。ベッドの横を見ると、なぜか親元を離れた姉が立っていた。姉が言った。「お父さんが倒れた。もうダメかもしれない」
野球で鍛えられた50歳の父は持病もなく健康そのもの。信じられなかった。聞くと、前日の夜に飲み会から家に帰る途中、路上で倒れて病院に搬送されたという。
病室での父は、体に無数の管がついていた。ベッドサイドモニターには、波打つ線が表示されていたので、脈があるのは分かった。
「目覚めるのかな」と思っていた。6日の朝、母は医師から「瞳孔が開いている」と告げられ、自分たちにも「もう動かない」と淡々と話した。
実感は全くない。だけど、なぜか「次のことを考えないと」と思えた。父がいなくなれば母子家庭になる。経済的に厳しくなって、部活が続けられないと感じ、母に尋ねた。「バイトしようか?」
激怒された。「お前からその言葉が出るとは思わなかった。あれだけ『やり通せ』って言われていたのに」
この試合。最後の打席は外角直球を空振り三振。次打者も打ち取られて試合が終わった。父にはこう言われると思う。「守備は良かった。けど、打撃はセンスない」
あと1年ある。最後は笑顔で引退できるよう、父が愛した野球を最後までやり通すと決めている。=袖ケ浦(マハール有仁州)
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