石川高専―金沢北陵 九回裏北陵2死二塁、越田が振り逃げを狙うもアウトで試合終了=2024年7月15日、金沢市民野球場、砂山風磨撮影

 (15日、第106回全国高校野球選手権石川大会2回戦 石川高専3―1金沢北陵)

 チームの好守に両手をあげて喜び、好機を逃せば天を仰いで悔しがる。金沢北陵のエースで4番の越田鉄平投手(3年)は感情を前面に出す。

 主将で5番の宮崎宗知捕手(3年)は冷静な声かけが持ち味。2人は対照的なバッテリーだ。宮崎捕手を高校野球に導いてくれたのは同じ中学出身で別のチームに所属していた越田投手だった。

 宮崎捕手は中学時代に野球をやめていた。高校でも入部するつもりはなかったが、「一緒にやろ」という声かけに背中を押された。

 2年秋からバッテリーを組んだ。明るくひょうきんな越田投手といつもまじめな宮崎捕手。試合前に「いい顔して戦おう」と呼びかけた深見大輔監督の言葉を体現するようにエースは表情を変え、相方の緻密(ちみつ)なリードで被安打5に抑えた。

越田鉄平投手と宮崎宗知捕手=2024年7月15日、金沢市民野球場、砂山風磨撮影

 2点を追う九回2死二塁で越田投手に打席が回った。「絶対に次の宮崎に回す」。3球連続、全力でバットを振った。いずれも大きな空振り。

 最後に相手捕手が球をこぼすのが見え、一塁に全力疾走し頭から滑り込んだ。しかし判定はアウトで試合終了。審判に促されるまで立ち上がれなかった。

 3年間を「切磋琢磨(せっさたくま)してお互いに高めあえた」と振り返る宮崎捕手。越田選手は「最高のパートナーです」と語った。(砂山風磨)

石川高専―金沢北陵 勝った石川高専の校歌を聴く主将の宮崎宗知捕手(左端)と越田鉄平投手(右端)=2024年7月15日、金沢市民野球場、砂山風磨撮影
金沢北陵の越田鉄平投手=2024年7月15日、金沢市民野球場、砂山風磨撮影
石川高専―金沢北陵 五回裏金沢北陵2死二塁、長谷川の適時打で滝崎が生還=2024年7月15日、金沢市民野球場、砂山風磨撮影

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。