高校まで野球をやっていた。大好きな野球の実況がしたくて、大学卒業後は、アナウンサーとして大阪の朝日放送へ。高校野球やプロ野球中継で、熱い叫びが印象的な名物アナだった。

元アナウンサーの高校野球監督 清水次郎さんの転機となった、ある言葉

 2006年の第88回全国高校野球選手権大会は決勝(引き分け再試合)のラジオ実況を担当した。母校の早稲田実(東京)が、駒大苫小牧(北海道)に勝った瞬間に甲子園で立ち会った。わき上がる感動を、マイクに乗せた。

 アナウンサーの仕事は楽しかった。一方で、若者と真剣に向き合う監督たちを取材のたびに目の当たりにすると、高校野球の指導者への思いが去来した。「熱病みたいに、思いが高まったり下がったり。でも、消えなかった。それなら、やってみようと。やらなかった後悔を引きずる性分だから」

 11年から働きながら通信教育で教職課程を履修。22年間のアナ生活に別れを告げ、17年4月に兵庫県で高校の社会科の教員になった。22年10月、赴任2校目の県立西宮甲山高で念願の監督に。50歳を越えていた。

 就任直後は気のないプレーや、練習中の私語をしかりつけた。チームをよくしようと、部室に部員を呼んでひざ詰めで懇々と語りかけた。しかし、チームは好転するどころか、退部者さえ出た。

 転機は、23年度に野球部の責任教師(部長)になった西島良彦さん(33)との出会いだ。前任校では、軟式野球部の監督として定時制の全国大会に出場した経験があった。

 今年3月、西島さんの教え子たちが試合の応援に来た。彼らに「西島先生のどこがよかったの?」と聞いてみた。そのときは「何すかねー」とはぐらかされたが、あとで教えてくれた。

 「やっぱり、雑談力ですかね」

 はたと気づいた。確かに、西島さんはいつも生徒と話をしている。生徒との距離の近さみたいなものを感じていた。

 「急にこっちが『気持ちを知りたい』と接近したって、生徒からしたら『え……』ってなる。短時間でたわいもない話題でいいから、普段から生徒と話す。偉大な指導者の方々が言っていた『生徒への愛情』って、まさにそういうことなのかもしれない」

 厳しく言えば、部員の意識が変わると思っていた。ひざ詰めで語りかければ通じると思っていた。「そんなカリスマ性も経験も、ましてや魔法は俺にはないんですよ。一生懸命しゃべったからって、人を変えられるわけじゃない」。寄り添い、耳を傾け、「こうしたい」と部員が自発的に言い出すのを待つ姿勢に変わった。

 この夏のチームは12人の小所帯。グラウンドには気合の入ったかけ声と、時に笑い声が飛び交っていた。「若い頃から失敗しないと分からないタイプだった。教員になってまだ8年目。今、すごい勢いで経験と失敗を積み重ねられている手応えがある」(松沢憲司)

 1971年10月、東京都出身。早稲田実高から早大に進み、1994年4月に朝日放送入社。野球を中心にスポーツの実況を長く担った。44歳だった2016年9月に兵庫県の教員採用試験に合格。

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