球場のある富士北麓公園を目前にした片側1車線の舗装道をレンタカーで走行中、目の前に何頭もの大きな鹿が森の中から次々と飛び出し横切っていった。

 周りを富士山の裾野の森に囲まれた公園内の一角に球場はある。山梨県で開催された2021年の春季関東地区高校野球大会で会場の一つとなった。

 山梨県高校野球連盟理事長の庄司和彦(59)は、大会パンフレットにこう記した。

 「テレビ番組などでもたびたび『日本一美しい野球場』として紹介されている富士北麓公園野球場~狭くて古い野球場でお世辞にも美しい球場とは言えないのですが、その絶景はまさに日本一にふさわしい野球場といえます」

 世界文化遺産・富士山の一角にある標高1035メートルにある公園内でも、ひときわ高い標高1050メートルに位置する球場は、バックスクリーンの真後ろに雄大な富士山が間近にそびえ立っている。まさに圧巻だ。

 環境省関東地方環境事務所が選定する「富士五湖周辺の“富士山がある風景100選”」にも、球場を含む富士北麓公園が入っている。

 その標高の高さから、自然が生み出したさまざまな出来事があった。

 2005年7月13日の全国高校野球選手権山梨大会2回戦。韮崎高校と吉田高校の対戦は六回まで1―0と大方の予想を覆し韮崎がリードしていた。

 だが試合中、突然の濃霧に覆われノーゲームに。翌日の再戦で吉田が快勝した。かつて同球場の主任をした県立都留興譲館高校の伊藤伸一教頭(57)は「春のシーズンは雪が舞う中で試合をしたこともあります」と振り返る。

 同じく長年、球場主任を務めた県立ひばりが丘高校教諭の宮下剛(52)も濃霧に悩まされた。コロナ禍の2020年の交流試合。1試合目の七回に、霧に覆われた。交流試合を開催し、選手たちに試合が出来る機会を与えた。「なんとか最後までやらせてあげたい、という思いだった」。2時間半の中断を経て、試合を成立させた。ただし第2試合は順延となった。

 庄司には県立石和高校監督時代の思い出がある。

 相手チームの好守の中堅手が飛球を額に当てて捕り損なった。後日、対戦相手の監督から「選手が打球が揺れて落ちてきた、と話していた」と聞いた。「標高が高いので気圧の層があるのかもしれない」

 高校野球の山梨大会の主会場は、標高約250メートルの小瀬スポーツ公園内にある山日YBS球場だ。山梨の高校野球関係者らは800メートルの標高差は、打球の飛距離の違いも感じさせるという。

 「打球が伸びる」「ライナーが、そのままスタンドに飛び込む」「北麓でスタンドインした打球が、小瀬では全然飛ばない」。試合のシートノックで、ノッカーが打球をスタンドに打ち込み大会本部から注意を受けることもあるという。

 伊藤は「実力が低いチームでも、北麓で練習した後は打球が飛ぶので、みんな気持ちよく帰って行くんです」と笑う。

 この球場には、いまでは多くの球場で見かけられなくなった風景がもう一つある。スコアボード表示の手作業だ。

 山日YBS球場の電光掲示改修前にも作業をしていた富士吉田市の織物業の男性が仕事を請け負っていたが、現在は球場主任の教員と、球場当番の高校球児がその任を負っている。

 46段の階段を上りバックスクリーンの内部へ入ると、掲示板ののぞき窓から試合の経過を見つめる球児らの姿があった。

 チーム名のプレートは縦120センチ、横40センチほど。選手名や審判名を記すプレートは縦80センチ、横40センチほどになる。

 以前は白色粉で書いていたが、宮下は名前やチーム名をパソコンで書き入れA4用紙に印字。それを学校にある拡大機を使ってプレートに合うサイズに引き伸ばした。

 もともとは白地に黒文字で印刷してきたが、一度、反転し黒地に白文字の表示を掲出したところ「見やすい」と評判になり、黒地+白文字にこだわってきた。「反転させるのにけっこう時間がかかって大変だった」と校務の合間を縫って、大会に備えて作業を続けたという。

 拡大された用紙を球場に持ち込み、球場係の生徒たちがハサミでプレートに合うサイズに切り出し、テープでプレートに貼っていく。得点板や選手交代があれば重いプレートを掛け替える。かなりの重労働だ。

 球場周囲には2019年のラグビーW杯と2020年東京オリンピック(五輪)の合宿誘致をめざして改修が行われた陸上競技場や球技場、直線130メートルの走路5レーンがある屋内練習走路など充実した施設がそろっている。

 伊藤は「ただ、国立公園の中なので、いろいろと制約がある。球場にも照明施設があればいいですけれど」と話す。

 庄司はパンフレットの案内文の文末に「『日本一こしのあるうどん』と紹介された『吉田うどん』(正式名称は『吉田のうどん』と言います)発祥の地でもあります」と記した。

 ひばりが丘高校うどん部は日曜日、富士吉田市内のスーパーのフードコートでうどん店を営業する。同校教諭の宮下が「ちょっと様子を見てきます」と話し、球場を後にした。=敬称略(荒川公治)

富士北麓球場

 1985年建設。翌年の第41回国民体育大会「かいじ国体」の成年男子軟式野球の会場として整備された。両翼92メートル、中堅120メートル。内野は混合土のクレイ舗装で、外野は天然芝。内野は3957人、外野は9492人の計1万3449人を収容できる。富士急行線「富士山駅」下車、タクシーで約10~15分の公園内にある。

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