“バックスクリーン3連発”とは!?
伝説が生まれたのは1985年4月17日。
開幕4試合目の巨人戦。
1対3と阪神が2点を追う7回、ツーアウト一塁二塁の場面でした。
3番のバースさんがバックスクリーンへ逆転のスリーランホームラン。
続く4番・掛布さんもセンター方向へソロホームラン。
さらに5番・岡田監督もバックスクリーンへ。
宿敵・巨人を相手にクリーンアップの3人が3者連続ホームランを打って逆転勝ち。
甲子園球場のファンは熱狂し、40年ほどがたった今も阪神の伝説の名場面として語り継がれています。
あの3人が伝説を語る
今回、アメリカに住むバースさんにオンラインでインタビュー。
その映像を掛布さんと岡田監督に見てもらいながら対談が始まりました。
掛布雅之さん
「どうも~、きょうはあまり厳しいことじゃないからね」
岡田彰布監督
「インタビューしたの、バースに?」
掛布雅之さん
「ちょっとバース太った?一時期ちょっとやせたのにね」
ランディ・バースさん
「掛布はすごくいいやつだ。岡田は監督で頑張っているもんね。また会うのが待ちきれないね」
なごやかに始まった取材。
3人の打席を詳しく振り返ります。
それぞれの打席を振り返る!
まずはバースさんの打席。
巨人の槙原寛己投手の速球を振り抜きました。
実は当時、バースさんが打ったのはストレートだと思っていたそうですが、後日、シュートだと聞かされたと言います。
掛布雅之さん
「シュートなんだよな、あれな」
岡田彰布監督
「槙原が、なんか『シュート投げた』って言ってね。あとで聞いたけど」
掛布雅之さん
「私もバースが打ったのはまっすぐだと思った。あとで、槙原くんが『あれはシュートなんです』って」
岡田彰布監督
「『初めて投げたシュート』って言ってたね。前の打席でセカンドゴロでゲッツーとったんやね。シュートで」
掛布雅之さん
「シュートで。もう一回打ちとろうと」
前の打席で打ちとられていたシュートを見事にバックスクリーンへ運んだバースさん。
開幕4試合目で初めてのホームランとなる逆転のスリーランでした。
ランディ・バースさん
「(槙原投手は)投げられるようになったばかりのボールを試そうとしたんじゃないかな。ホームランを狙ってはいなかったけどとにかく打とうとして結果につながったのかな。彼はちょうど真ん中に投げてきた。それを僕が打ってフェンスを越えていった」
続く4番・掛布さんが待っていたのはストレート。
見事に捉え、“ほぼ”バックスクリーンへ運びました。
掛布雅之さん
「4番として打席に入って、ランナーいないですから、逃げてくることはないと思った。ややアウトコースのストレートを狙っていた。ちょっと真ん中に入ったのを左中間へ。槙原くんに聞いたんですけど、“こん身のストレート”だと言っていましたよ。僕のはバックスクリーンじゃありませんからね。ちょっと左にずれている」
岡田彰布監督
「跳ねてバックスクリーン」
掛布雅之さん
「跳ねて(バックスクリーンに)入った(笑)」
最後に5番・岡田監督が打ったのはアウトコースのスライダーでした。
槙原投手がいいコースに投げ込んできたからこそ、引っ張らずに素直にはじき返し、バックスクリーンへと飛んでいったと振り返ります。
岡田彰布監督
「球種よりも外を狙っていた、アウトコース。インコースは来ないと思っていたからね。どちらかというとスライダーは引っかけるというか、巻き込むかなと思っていた」
掛布雅之さん
「そうそう、あんまりないよね」
岡田彰布監督
「スライダーがええコースに来たんです。巻き込めなかった、逆に。もうちょっと甘かったら左中間の方に打っていたかもしれない。コースがよかったんですよね。素直に打てた。センターにね」
バースさんと同じく岡田監督もこの1本がシーズン初のホームラン。
実は・・・。
岡田彰布監督
「俺、本当にホームラン狙ってた、あのときは」
掛布雅之さん
「1発だけ?」
岡田彰布監督
「1発だけ。バースが先に打ったから」
掛布雅之さん
「1号をね」
岡田彰布監督
「単純にそういう考えで(打席に)入った」
初球は打たない!?その理由は?
さらに注目したのは掛布さんは3球目、岡田監督は2球目を打ったということ。
これには熱狂的な阪神ファンが集う甲子園球場ならではの理由がありました。
岡田彰布監督
「初球は打たない、掛さんがホームラン打ったら」
掛布雅之さん
「そうそうそう!」
岡田彰布監督
「まわりのお客さん、やかましいからね。集中できない」
掛布雅之さん
「バースがあの逆転スリーランを打ったときに、監督が言ったように、球場がうるさいんですよ。『バース!』『バース!』だから。これは掛布の雰囲気に変えないといけないだろうと、だから仕掛けを遅らせたの」
3連発が日本一につながったのか?
この年、阪神は21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本一に輝きました。
バースさんは歴史に残る1年をこう振り返ります。
ランディ・バースさん
「僕たちが打った3本。それが巨人を倒せると証明したんだ。セ・リーグのペナントを勝ち抜くためには、巨人をたたく必要があった。だから、それ(3連発)が日本シリーズの勝利へといざなってくれたんだと思うよ」
しかし、掛布さんと岡田監督は少し見解が違うようで・・・。
岡田彰布監督
「開幕4試合目でね、そん時に優勝できるって、そんなことまだ考えていないもん。後付け後付け(笑)」
掛布雅之さん
「ランディも勝ったから後付けで言っているだけで。監督が言うように、4試合目ですよ。3連勝しましたし、戦えるだろうという手応えは感じましたけど、ただあれが優勝にはつながりませんよ。後付けです(笑)」
あの名シーンのような伝説は生まれるか
甲子園を熱狂させた“バックスクリーン3連発”。
今後、あのような名シーンは生まれることはないのか・・・。
ランディ・バースさん
「バックスクリーン3連発を超える何かを生み出すには長い時間がかかるだろうね。バックスクリーン、バックスクリーン、バックスクリーンなんだから。いつも見られるものじゃないし、一生のうちでも見ることはできないかもしれないからね」
掛布雅之さん
「バッターではないと思う。ただピッチャーでは阪神のピッチャーが完全試合とかそういうのはあるんじゃない?バッターではバックスクリーン3連発、これはないでしょ」
それでもまた見たいというのがファン心理というもので、しつこく聞いてみると・・・。
岡田彰布監督
「誰が打つの?」
掛布雅之さん
「僕は期待していますよ。いま期待したい。それで流れを変えてほしい」
3人にとって“甲子園”とは
最後に、3人にとって甲子園球場とはどんな存在なのか。
数々の功績を残してきた人にしか言えないことばで表してくれました。
ランディ・バースさん
「甲子園は“第2の家”だ。日本でほとんどの時間をこの球場で過ごしたからね。甲子園にいると快適で気分もいい。家にいるような気がする」
岡田彰布監督
「いやいや、それじゃ“第1の家”だね。本当にここで育ててもらったというのがある。大阪に生まれたんで、おやじに連れられてタイガースの応援。まずは甲子園のスタンドから見ていた。高校野球で甲子園に1回出させてもらって、縁があってタイガースに入団。甲子園が本拠地でやるようになった。野球やっているもんにとったら毎日甲子園で試合ができる幸せというのはない」
掛布雅之さん
「僕は“おふくろ”かな。温かくもあり、厳しくもある。僕の野球をずっと見守ってくれた“おふくろ”のような存在なのかもしれない。みんなが憧れるというのはそういうものがあるんじゃないですか、甲子園に。野球の母じゃないかな。そんな感じがしますね。みんなここから生まれるような、すべてのドラマが」
取材後記
甲子園球場100周年の特別企画としてオファーしたこの取材。
3人とも快く引き受けてくれました。
話を聞いていくなかでまず感じたのが、みなさんよく覚えているということです。
およそ40年がたっても球種や当時の心境、それに後日談まで鮮明に語ってくれました。
そして、もう1つ印象的だったのがみなさん本当に楽しそうに話していたこと。
ひとつの質問に対してのトークがなかなか止まらず、取材時間ぎりぎりまで懐かしそうに語ってくれました。
開場から100周年を迎える甲子園球場。
未来に向けて今後、この伝説の名場面のような“何か”が生まれることを期待しますが、“バックスクリーン3連発”は何年たっても色あせることなく聖地の歴史、野球ファンの記憶に刻まれ続けると思います。
(「ほっと関西」で7月1日放送予定)
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