高校野球の育成や発展に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、三重県内からは森岡義博さん(64)が選ばれた。「野球ができるありがたさ」を口癖に、宇治山田など4高校で、今年3月まで41年間、教え続けた。
1983年に初任校の伊賀で部長に。大学ではソフトボール部の選手で、硬式野球の選手経験はなかったが、戦術やトレーニング法は「ひたすら本を読み、試合相手から学んだ」という。86~90年に相可で副部長。90~2003年に志摩で監督と部長を務めた。
03年に赴任した宇治山田で、13年まで監督だった。思い出深いのは、05年夏の三重大会ベスト4。準々決勝で、久居農林に延長十四回の末、下馬評を覆してサヨナラ勝ちした。「突出した選手はいなかったが、最少失点で守り切る野球が、大会中に浸透していった」。07年夏にも三重大会ベスト8に進んだ。
宇治山田は、旧制三重四中だった1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高校野球選手権大会)に出場した伝統校だ。2009年夏、甲子園の開会式企画として、宇治山田の主将が出場選手の先導役を務めたが、森岡さんはあえて甲子園に行かなかった。「選手全員と行くまで取っておこうと。意地もあった」
13~22年には宇治山田で部長。高校野球100年記念事業として、15年夏の甲子園開会式で、第1回大会に出場した10校の選手が復刻ユニホームで行進した時には、招待されバックネット裏で見届けた。「今度は部長だからいいかなと。初めて見た甲子園の開会式は、大観衆がまぶしく、感動的だった」と振り返る。部長退任後も2年間、顧問として野球部にかかわった。
長かった指導者生活。家庭との両立に悩んだこともあった。長女が誕生しても、練習試合が続き、顔を見に行けたのは3日後だった。それでも、三重大会の開会式で行進する選手を見て「やめなくてよかった」と思うくり返しだった。
人材育成にも貢献した。宇治山田がベスト4に進んだ05年の三重大会、準々決勝で14回を投げきった東爪雅史さん(36)は今、南伊勢の監督だ。一方、13年間指導した志摩が今年度、部員不足のため高野連を脱退し、寂しさを感じる。甲子園に選手を連れて行けなかったのも、心残りという。
20年、コロナ禍で選手権大会が中止されたのを機に、改めて野球ができる幸せをかみしめた。「世の中が平和で、保護者が弁当を持たせてくれるから野球が続けられる。感謝の気持ちを忘れるなと、これからも機会があれば選手に伝えていきたい」(本井宏人)
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