今年9月に行われた立憲民主党の代表選に当選1回の衆院議員ながら立候補し、注目を集めた吉田晴美さん(52)。惜しくも敗れたものの、新しい風を吹かせ、10月の衆院選で再選を果たした吉田さんは、大学生が作る毎日新聞の紙面、我らが「キャンパる」の大先輩でもある。その仕事現場を訪ねて、素顔に迫った。【立教大・宇野美咲(キャンパる編集部)】
平均株価、何それ?
「学生時代は内気で、人についていくタイプでした」。本人のお話は、意外にもこんな言葉から始まった。「キャンパる」には大学2年生の頃、当時熱中していた熱気球のサークルの先輩に誘われ入会したという。「他の大学生にはジャーナリストを目指す方もいた。知らない世界を見ることができ、すごく刺激を受けて、とてもいい機会になった」と振り返る。
人形浄瑠璃が好きで、大学では日本文学を専攻した。政治や経済の問題には無関心で、「大学時代は『日経新聞を読んでいる人とは住む世界が違うな』と思っていた。日経平均株価と聞いて、それって何かの暗号ですか?と言うような学生だった」と笑った。
自らを鍛えた挫折経験
就職活動は、いわゆる就職氷河期のまっただ中だった。苦戦の末、何とか外国エアラインに就職したが、結婚、出産を経て退職。転職先を探したが、「英語と接客はできるものの、何か突出したビジネススキルを持っていたわけではなかった」という吉田さんは、ここでも苦戦する。何とか投資会社に再就職したが「経済のことも知らないのに金融の会社に入って、自分のダメさ加減をすごく感じた」と振り返る。
ただこうした挫折経験は、自分の仕事に対する向き合い方を、もう一度見直すきっかけにもなった。「仕事は腰掛けでやるものではない。でも、自分には価値がないということを転職の際に突き付けられた。一から経済を勉強しないと、(キャリアアップを阻む)『ガラスの天井』は打ち破れない」。そう考えた吉田さんは、経営学修士(MBA)取得を目指し、英国留学に踏み切った。30歳の時だった。
国会議員に多様性を
相前後して、政治の世界にも関心を抱くようになった。きっかけは母親の病気だった。重い病気や障害で高額の費用負担が必要な人を救済する仕組みがあることを初めて知った。社会保障や福祉の仕組みに対して無知だったことに気づくと同時に、その仕組みを作る政治の役割の大きさを痛感したという。
また、自身の政治家としての原点は「八百屋の娘」であるとも話す。吉田さんのご家族は山形県で八百屋を営んでいた。「1年間に休みがお正月の1日だけ。そんな一生懸命働く家庭で育ったが、そういう人ほど、政治がすごく遠いところにあるのが現実」。その一方で、国会議員の職を一家、一族で代々引き継ぐ世襲がまかり通っているのも、この国の現実だ。
「本来なら国会はいろんなバックグラウンドの人が来るべきだと思った」という吉田さん。大臣秘書官などの経験を経て、民主党(当時)の国会議員候補者公募に応募。それは「私のような地方の小さな商売の家の出身者が国会に行けるとしたら、さまざまなバックグラウンドの方が国会議員になれるはずだ」という、自身の思いに基づく行動だった。
未知への挑戦
自ら「政治素人」と認める手探りのスタートだったが、3度目の国政選挙立候補となる2021年の衆院選で初当選。地盤、看板、カバン(お金)の「3バン」はないが、逆にしがらみもなかった。「全部知っていたら、逆に怖くて無理だったかも」。怖さを知らないからこそ、飛び込むことができたという。
立憲民主党代表選への出馬も未知への挑戦だった。推薦人を集めることや周囲の圧力に苦しむこともあったが、慣習を打破したい、誰でも何にでも挑戦できる自由な党であってほしいという熱い思いがそこにはあった。さまざまな困難があるが、「挑戦することを諦めたくない」と力強く語る。「学生時代の自分からは想像できないが、挑戦しようという決断は、一度腹を決めたらブレないもの」だと吉田さんは言う。
また母校である立教大学は建学精神に「隣人のために」をうたうが、「人のために奉仕をする、人のために何かをする精神っていうのは、とても今の自分につながっているんじゃないかと思う」と振り返った。
「自分らしくていて」
国会デビューする以前は、政治活動の傍ら複数の大学の教壇に立った。学生とゼミに取り組み、若者たちの可能性を強く感じたという。18年4月から3年間、准教授を務めた目白大学ではビジネスコミュニケーションに関するゼミを担当した。吉田さんが出した課題に学生自身が好きなように取り組む。過去には「食のバリアフリーを宗教や医療の側面からまとめ、視聴者にわかりやすい動画を作成する」といった課題があった。厳しいゼミだが、学生たちは真剣に取り組み、吉田さんの期待を大きく上回るような成果を上げてくれたと話す。
一方、学生たちと交流して気がかりなのは「SNS(ネット交流サービス)の普及によって、聞かなくてもいい声を気にする人が多いように感じる」ことだという。若者の政治的関心の低さ、無関心がよく話題になるが、吉田さんの見方は違う。「学生、若者はしっかりとした力、考え、声を持っている。それを引き出し、政治をもっと身近に感じてもらえるように、私たち大人が変わるべきだ」
難しい言葉を使わずに、関心を持ってもらえるように自分の側からハードルを下げていきたいという。それは代表選でも意識したそうだ。
10月の衆院選の街頭演説に記者が訪れた際も、誰でも分かるような易しい言葉で訴えかける姿が印象的だった。聴衆の側から吉田さんが話しかけられる場面も多かった。吉田さんの易しい言葉と優しい雰囲気が、住民が親しみやすい政治家像を体現しているように感じた。
最後に学生に伝えたいことを尋ねてみた。「自分らしくありたい、という思いを私は支えたい。人と比べなくていいよ、いい子でいなくていいよ、自分らしくいて」。柔らかい笑顔とともに語った吉田さんの言葉に、優しさと、芯の強さを感じた。
吉田晴美(よしだ・はるみ)
1972年、山形県河北町の八百屋の長女として生まれる。95年、立教大学文学部卒業後、就職、転職を経て2002年、英国のバーミンガム大学経営大学院に留学し、MBA取得。帰国後コンサルタント会社勤務を経て政治の世界へ。21年、24年の衆院選で、ともに東京8区で当選。
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