「失言」が騒動となっている静岡県の川勝平太知事が、4月10日にも辞表を提出する見込みとの報道が出ました。
ことの発端は4月1日、川勝氏が静岡県の入庁式で職員に対して「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、皆さまは頭脳、知性の高い人たち」だとスピーチしたこと。この失言は猛烈な批判を浴びて、翌日には辞職を表明しました。
炎上社会の現代は、言葉遣い一つで身を亡ぼすことにもなりかねません。なぜ政治家や経営者などの舌禍はなくならないのでしょう。また、自らの発言が意図せず批判を浴びたときはどうすべきかを考えたいと思います。
「暴言首長」といえば…
舌禍と言えば思い出されるのが、自らの発言で2回も市長職を辞した泉房穂元明石市長。職員への恫喝的な激しい叱咤や、市議会での脅迫発言など、のちに「暴言市長」とタイトルに入った評伝が出版されるなど、川勝知事が注目を浴びるまでは“暴言首長”といえば泉氏が有名でした。
パワハラ行為にはひときわ厳しい批判が集まる昨今、泉氏の暴言が報道されたときには激しくバッシングされました。一方で、明石市政での泉氏の実績評価は高く、1回目の辞職後には市長選挙に再出馬したところ、圧勝するという世論の支持を受けたのです。しかしながら、自らに対する問責決議をめぐって再び暴言を吐き、辞職したという経緯があります。
再度の暴言での辞職後も、泉氏の推薦を受けて後継者となった丸谷聡子氏が圧勝して市長に選出。泉氏は退いても世論の支持を受ける珍しい存在といえます。
東大出の弁護士であり、元衆議院議員でもある超エリートの泉氏ですが、実はそれほど裕福ではない漁師の家に生まれ育ち、県立高校から東大へと進み、猛勉強の末学費免除を勝ち取った苦労人だと明かしています。そういった生い立ちがどことなく憎めない雰囲気や人柄に表れているように思います。
最近はバラエティ番組などでも見かけるようになったくらい、失言で失職した首長とは思えないほど引っ張りだこ。4月6日には、多くの人気タレントを擁する芸能プロダクション「ホリプロ」に所属したことを、自身のX(旧ツイッター)にて発表しました。
YouTubeでも積極的に発信する泉房穂元明石市長。ズバッと切り込む語り口が人気だ(出所:「いずみチャンネル」【泉房穂 公式チャンネル】YouTubeより)一方、今現在、多くの批判を浴びている川勝知事。早稲田大学政経学部卒でオックスフォード大学からPh.D.(日本でいう博士号)を取得、早稲田大学教授、静岡文化芸術大学学長と華々しい経歴を重ね、静岡県知事に就任しました。
そうしたバッググラウンドが影響しているかはわかりませんが、川勝氏による県入庁式での職業差別ともとれる暴言は、どことなく上から目線であることを市民に感じさせ、激しい批判にさらされました。
川勝氏といえば、国家プロジェクトであるリニア計画の静岡区間事業に対して頑強な抵抗を見せて何かと注目される存在。このリニア計画への抵抗姿勢自体にはさまざまな意見があり、批判だけでなく支持する声もありますが、県入庁式での暴言は大批判一辺倒となりました。擁護の声はまったく見られません。
「失言が本音だった」と解釈される危険性
フロイトは古典『精神分析入門』において、言い間違いのような錯誤行為はただのミスではなく、心的葛藤であると述べています。つまり意図せず言い間違いをしたとき、本音が隠れている可能性もあるという意味です。川勝氏の場合はどうでしょうか。
発言が問題となってからの最初の釈明会見では、川勝氏は謝罪や発言の撤回はせず(4月3日に謝罪、5日に発言撤回)、自身の非を認める姿勢は見えませんでした。「(発言は)切り取りであり誤解」と釈明し、(自らの発言を)「職業差別ととらえる人がいる」「職業差別であるというふうに理解する人が急速に増えているが、これは不正確」と言い訳に終始。
これは謝罪とはまったく異なるものです。謝罪というよりも、自分の発言を曲解するほうが悪いという説明です。
辞意表明についても、最初はあくまでそれは引責ではなく自らの仕事の一区切りであるという趣旨でした。そうなると、フロイトのいうところの「心的葛藤」によるつい湧き出した本音どころか、言葉通りの意図をそのまま発したと解釈されてしまいます。
知事職を辞する表明に追い込まれたのは、失言で燃え上がった炎上の火消しが失敗したからと見るべきでしょう。
反対に、泉元市長は辞職に際し、心からのお詫びと暴言の責任を取ることを表明しました。明確に自らの責任であることを認めた謝罪だといえます。辞職表明の後には、明石市役所に「辞めないで」という電話やメールが届き、SNS上では泉氏の引退を残念がる投稿が相次ぎました。
2人とも“暴言”首長ではありますが、きちんと謝罪をするかしないかで命運が分かれました。謝罪の有無がその人の印象や評価を大きく分けた原因だといえるでしょう。
謝罪はテクニックではなく、BCP(事業継続計画)だと私は言い続けています。泉氏は結果としていまだに国政への復帰を願う声があったり、テレビなどメディアで見かけたりすることが増えています。
これは、事態を収拾し、今現在の活動を維持継続できているということで、BCPは成功しているのです。
川勝氏は対応が後手後手に回り、世間に対してまともな謝罪をしていないという印象を植え付けてしまいました。リスクの炎は消えるどころか燃え盛ってしまい、次の批判へと延焼していってしまいました。
すでに一刻も早い辞任を求める声が高まっており、知事職の待遇に対する批判にも広がっています。6月1日まで知事職にあればボーナスは満額支給となるためです。静岡県の政治にも大きな影響力を持つといわれる鈴木修スズキ自動車前会長の承認は取ったということですが、現時点での川勝氏のBCPは成立していません。
だからこそ、延焼した批判の声を受けて、予定よりも早く辞表を提出することになったと見られます。
「失言」を謝罪する川勝平太静岡県知事(写真:時事)初動で炎を消せるか
危機においては初動対応が命運を分けます。芸能人の不祥事でも、犯罪までには至らない不適切な言動などでは、いかに早く事態を鎮静化できるかが命運を握っています。やはり早くからの丁寧な謝罪が有効です。
火事は燃え盛ってしまえばもはや手が付けられなくなります。初期の段階で自ら責任を認め、事態を収拾できれば、立て直しの道は残ります。しかしそれを拒んで自らを正当化するようであれば、危機が去ることはないでしょう。
世間の関心が低下すれば、怒りや反発も少なくなりますが、それは同時に自分自身の存在も忘れられていることになります。スキャンダルから逃げたことで、表舞台から存在ごと消えていった著名人もいます。逃げ回るのはまったく危機対応にはなりません。まして自分の発言を正当化して非を認めない姿勢は、危機対応能力を疑われてもしかたないでしょう。
今回の川勝知事の問題は単なる暴言ではなく、自治体首長としての危機対応能力の問題だと考えます。自らの危機的状況を処理できない人物が、はたして首長として自治体の危機に対応できるのか、という資質への疑いとなってしまったのです。
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