人口1669人、高齢化率45%の過疎の地、岐阜県関市洞戸の医師、安福嘉則さん(76)がこの春、日本医師会の「赤ひげ大賞」を受賞した。今も一線に立つ安福さんと、旧洞戸村時代から続く「国民健康保険洞戸診療所」には数々のドラマがある。

 大垣市出身。岐阜大医学部で学ぶころから「医療の届かない地域」での活動を志した。整形外科医として県立多治見病院などで働き、34歳の時に県から洞戸診療所を紹介された。医師が定着せず、無医状態が1年続いていた診療所だった。

 内科や小児科などの研修を受け、1982年春、家族とともに着任。村は当時、今より1千人以上、人口が多かった。

 「先生、もっと楽にやっていいよ」。初めのころ、村びとから言われた。肩の力を抜いたらエンジンがかかった。

 「腰が痛い」「肩がしびれる」「気分がすぐれない」。原因がはっきりしない不定愁訴の人が多かった。「病は生き方の表れだよ」と生活習慣から健康を説いた。「そう薬に頼らなくていい」「腹八分目に医者いらず」。東洋医学も参考にした。

 そのころの看護師は1人。理学療法士がいないため、「操体法」という運動療法を採り入れた。体の次は心。地元の青年団に手伝ってもらい、音楽ライブや落語会などを開いた。

 ある時、手術後も腰やひざの痛みに悩む、歌の好きな高齢の女性が言った。「歌っている時だけは痛みを忘れます」。そこで始めたのが「カラオケ祭り」だ。年3回、17年間続いた祭りは、地域ぐるみのイベントになった。

 村外からも患者が集まった。安福さんが40~50代のころは日に平均100人。往診にも駆け回り、雪をかき分けての冬の帰宅は深夜になることもあった。

 在宅医療にも力を入れる中で、「看取(みと)り」がテーマとなっていった。

 過疎地域でどんな最期を迎えてもらうかは、難しい問題だ。自宅で家族に囲まれる最期もあれば、複雑な思いを残すケースもある。「面倒を見きれないから、自分で施設を探して」と家族にあしらわれたり、「若い者のじゃまになりたくない。早く逝きたい」とつぶやいたりした人もいた。

 「いろんな最期がある。でも、みな本当は認められ、つなぎとめてほしいはず。そんなつながりを大切にしようと努めてきた」と安福さんは話す。

 昨年6月、41年務めた所長職を退任した。今は週2日の勤務だ。「心電計をかごに載せて自転車で往診した。車の免許を取ったものの、凍った山道で車ごと谷に落ちてしまったことも今は懐かしい。無我夢中、あっという間だったが、結構な年月だった気もする」

 長く診てきた患者は今も往診し、語り合う。「私こそ、患者さんに育ててもらった」。自らの診療スタイルを「同行(どうぎょう)医療」と名づけている。(ライター・森川洋)

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 〈赤ひげ大賞〉 地域医療の担い手を対象に、日本医師会などが大賞として毎年5人を顕彰する。2012年に設けられた。賞の名前の由来である「赤ひげ先生」は、山本周五郎が小説「赤ひげ診療譚(たん)」で描いた、人々に寄り添う医師。県内からの大賞の受賞者は今回で2人目。

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