日本時間29日未明に開幕するパリパラリンピック、今回、初めて出場するのが、パラ陸上の鬼谷慶子(おにだに・けいこ)選手です。難病で「麻痺」が残り車いす生活となった苦難を乗り越えての夢舞台、「どうせ、うまくいく」と、“自然体”で挑みます。

高知県高知市出身の鬼谷慶子(おにだに・けいこ)選手(29)。日本時間29日未明に開幕するパリパラリンピックのパラ陸上・円盤投げに、初めて出場します。

初の大舞台を控えた鬼谷選手が、先日、インタビューに応じ、大会前の心境やこれまで歩んできた軌跡を語ってくれました。

Q.パラリンピック開幕までもう少し、今の心境は?
(鬼谷慶子選手)
「そうですね…あえて、『(開幕まで)あと何日』ということをあまり意識せず、今までと変わらず1回1回の練習を大切にして、大会に向けてできる準備を全てやろうと思っています」

1994年生まれの鬼谷選手、幼少期は外で遊ぶことが好きな“活発な子ども”だったといいます。

(鬼谷慶子選手)
「家族で休みの日は、夏だったら川に行ったり海に行ったり、アウトドアが好きだったかなと思います」

スポーツも得意で、中学校で陸上競技を始めると、高知学芸高校時代にはハンマー投げで国体に2度出場するなど活躍しました。

その後、家業の歯科医師を目指すため東京歯科大学に進学しますが、大学2年(20歳)の時、“難病”に襲われました。

(鬼谷慶子選手)
「最初は、『何かの間違いで、一晩寝たら治るだろう』みたいに思っていました『脳幹』に炎症が出る病気で…」

脳内の器官に炎症が起こる「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」を発症。体幹機能が低下して姿勢を保てなくなったうえ、左半身には「まひ」が残り、“車いす生活”を送ることになってしまったのです。

(鬼谷慶子選手)
「『背もたれの無い椅子』や『90度の背もたれの椅子』に座ることができない状態で…。『ビッカースタッフ型脳幹脳炎』とわかったのは(発症から)3~4年後で、その間は『日常生活、1日1日が必死』で、いろいろ考える暇がなかったんですけど…。いざ『車いす生活』になった時に、『あぁ、これからどうやって生きていったらいいのかな』って思って…。『出口の見えないトンネルの中にいるような感覚』です」

それでも、家族に支えられながら懸命にリハビリを続けました。そんな日々の中で「パラスポーツ」に出会い、人生が大きく変わり始めます。

(鬼谷慶子選手)
「当時は『家』か『病院』しか自分の“居場所”というのがなくて、社会とのつながりも全然なくなっていたので、『これはちょっとまずいな』と思っていて、23~24歳くらいの時に、リハビリ室でPT(理学療法士)さんにボッチャをやらせてもらったのが、パラスポーツを初めてやったときで、その後『パラ陸上競技で座って投げる種目がある』ことを知って、それでやり始めた」

再び“陸上競技”に打ち込むことになった鬼谷選手。種目は「円盤投げ」で、鬼谷選手の「F53」クラスは、“椅子に座ったまま”投げます。

その様子が、こちら。

(鬼谷慶子選手)
「普通(健常者)は水平に腕を振るんですけど、(腕を)水平を保つのがけっこう難しくて、『下から上に向かって投げる』というフォームにしました。もともと円盤投げをやっていたので、『(健常者の)セオリー通り』に投げようとしてうまくいかない。それは、自分の今の『残存機能』に『全く合っていないフォームだったから』ということで、『今の自分に残っている機能で投げられるフォームを見つけていく』のを、半年以上、そればかりやってきて、それが、けっこうおもしろかったです」

こうして、2022年から本格的に円盤投げに取り組んできた鬼谷選手は、みるみる力を付け、2024年5月の「世界パラ陸上選手権」で14m49cmのアジア記録をマーク。銀メダル獲得とパラリンピック出場を決めたのです。

(鬼谷慶子選手)
「試合中は、『パラリンピックの選考』というのが頭から抜けていて、自分が世界パラ陸上で投げることに“必死”だったので、終わって戻ってきて『パラリンピック出場が決まりましたね』みたいに言ってくださって、『あ、そういえばそうだった』と思って…(笑)」

(鬼谷慶子選手)
「それでやっと実感が『あ、決まったんだな』と、じわじわ、こみ上げてきたという感じです」

(鬼谷慶子選手)
「『何かの間違いじゃないか、一晩寝たら治るだろう』と思いながらいたんですけど、次の日の朝、トイレに行こうと思って立ち上がろうとすると、ひざがガクンと折れて、トイレにたどり着くことができませんでした」

この日、鬼谷選手は、母校の高知学芸中学・高校を訪問。後輩たちに、こんなアドバイスを贈りました。

(鬼谷慶子選手)
「大事な場面で力を発揮しなきゃいけないときって、あると思うんですけど、『どうせうまくいく』って自分に言い聞かせることです。なぜ『どうせ』かというと、脳はネガティブな言葉を受け入れやすいので、『絶対にうまくいく』じゃなくて、『どうせ』って言う。『絶対に』って言うと、体に力が入って良いパフォーマンスが出なくなるので、『どうせうまくいく』と言ってみてください」

パリでも、「どうせ、うまくいく」。“花の都”での夢舞台、“一瞬の投てき”で“大輪の花”を咲かせられるか、期待です!

(鬼谷慶子選手)
「投げる時間でいうと、本当に0.2秒ぐらいなんですけど、私自身のプレーで、『あした頑張ってみよう』みたいな、“活力”が出るようなものがお届けできたらいいなと思っています。“メダル”を目指してしっかりやっていきたいと改めて思います」

鬼谷選手が出場するパラ陸上女子円盤投げF53クラスは、日本時間9月3日(火)午前2時ごろから行われます。

■鬼谷慶子(おにだに・けいこ)
1994年12月21日生まれ、高知市出身。昭和小学校→高知学芸中学校→高知学芸高校→東京歯科大学。関東パラ陸上競技協会所属。中学時代に陸上競技を始め、短距離・砲丸投げ・円盤投げを経験。高校時代は円盤投げ・ハンマー投げに打ち込み、ハンマー投げで国体に2度出場。大学2年時、20歳で難病の「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」を発症し、左半身にまひが残る。リハビリ中にパラ陸上・座位投てき種目に出会い、2022年から本格的に円盤投げに取り組むと、2024年5月の世界パラ陸上選手権で14m49cmのアジア記録を樹立し、銀メダル獲得・初のパラリンピック出場を決めた。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。