写真はイメージ=ゲッティ

 甲子園での沖縄県勢の優勝は春夏通じて4回を数え、プロ野球でもセ、パ両リーグで沖縄出身選手が大活躍するが、社会人野球の沖縄勢は実に苦戦している。アマチュア野球最高峰の都市対抗野球大会で、沖縄勢はいまだ勝ち星がなく、出場さえも2014年を最後に遠ざかっているのだ。苦戦の理由はどこにあるのか。東京ドームで7月に開催される第95回都市対抗野球大会の出場権をかけ、10年ぶりに沖縄県で始まる25日からの九州2次予選を前に、地元の関係者に尋ねた。

 「やはり本土と遠いことがネックになっている」

 社会人6チームが加盟する沖縄県硬式野球連盟(JABA沖縄)事務局長の中村寿さん(51)が、まず挙げるのは地理的要因だ。

 実戦経験を積むため、沖縄のチームが県外に出て本土のチームと練習試合をするには多額の遠征費がかかる。このため、どうしても県内のチーム同士で練習試合を組むことが多くなる。「互いに手の内を知り尽くした相手なので、プレーの幅が広がりにくい」と中村さん。

 春には沖縄で強化合宿をする本土のチームも多く、沖縄のチームも地元で強豪チームと対戦できる。とはいえ、通年で練習試合が組める本土チームとの違いはやはり大きいという。

 中村さんは「練習環境の差もある」と指摘する。本土の企業チームの多くは自前の野球場やトレーニング施設を持ち、大半の選手は午前中で勤務を終え、夜まで野球に打ち込める。一方、沖縄の社会人野球をリードする二つの企業チームのうち、1992年創部の沖縄電力(浦添市)は専用球場を持つが、08年に創部した医療・健康機器メーカーのエナジックにはない。

 那覇市出身で、プロ野球の阪急・オリックスなどで活躍した石嶺和彦さん(63)は16~23年にエナジックの監督を務めた。就任当初の練習環境は「特に厳しかった」と振り返る。

沖縄勢の都市対抗本大会での戦績

 練習場を求めて県内の「原っぱ」を転々とする日々。フェンスがないため打撃練習はティーバッティングに限られ、ノックによる守備練習もできなかったという。

 現在本拠地とする沖縄県うるま市と交渉し、市の野球場を借りることができるようになったのは監督就任4年目ごろから。今も球場が自由に使えるわけではないが、その後、チーム力は飛躍的に伸び、21年と22年には都市対抗野球の1次予選で沖電を破るまでになった。

 エナジックの成長は沖電にとっても歓迎すべき状況だ。

 戦後の米国統治時代、沖縄には四つの企業チームがあったが、72年の日本復帰に伴い、本土の系列企業チームに吸収され、全て姿を消した。沖電は90、91年の夏の甲子園で2年連続準優勝を果たした沖縄水産高校の選手たちの「受け皿」として92年に創部。中村さんも、90年夏の甲子園で準優勝した沖水ナインの一人で、大学卒業後に沖電に入ったが、県内に有力なライバルチームがいない孤独な状態が長く続いた。中村さんは「九州で勝ち抜く力をつけるためには、県内で切磋琢磨(せっさたくま)できた方がいい」と語る。

 石嶺さんは「沖縄ならでは」の強みを生かすことを提言する。プロ野球の球団が春季キャンプで使う球場だ。「あちこちに立派な球場があるのに市民のためになっていない。普段は空いているのだから、所有する市町村や管理会社が地元のチームの練習用に安く開放すれば、選手たちはすぐにうまくなるはずだ」

 25日に沖縄県で開幕する九州2次予選では、本大会出場の2枠をかけて12チームが7日間の日程で熱戦を繰り広げる。沖縄勢は、沖電が前回の沖縄開催で出場権をつかんだ14年以来10年ぶり5回目の本大会出場を狙い、エナジックとシンバネットワークアーマンズクラブは初出場を目指す。

 石嶺さんは期待する。「短期決戦なので沖縄勢にも十分勝機はある。沖縄の社会人野球を盛り上げるとっかかりの大会になってほしい」【比嘉洋】

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