昨年6月に引退した大相撲の元幕内石浦(34)=現・間垣親方=が6月1日、東京・国技館で引退相撲興行を行う。大相撲では小柄な100キロほどの体で立ち向かい、最後は大けがで土俵に別れを告げた。断髪式では、一度離れた相撲に戻るきっかけをくれた恩人もはさみを入れる。
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「相撲って理不尽ですよね。もういいやって」
日大3年生のとき、相撲部の稽古をさぼるようになった。
もともと体重が80キロ台だったが、指導者から「100キロになったらレギュラーで使ってやる」と言われ、ご飯をかきこんだ。
おなかがいっぱいになっても、白米に、すった長芋をかけて流し込む。体重は100キロを超えたものの、腸の病気になった。すぐに10キロ減った。
幼い頃から体が小さく、稽古に励んでも、大柄な初心者に負けた。大きくなろうと努力したら、体を壊して相撲ができなくなった。「相撲は理不尽」だと感じた。
在学中に総合格闘技「MMA」に挑戦した。が、数カ月で断念。卒業後、オーストラリアに語学留学した。
進路は定まっていなかったが、世界に興味があった。国際相撲連盟の職員になって、大会でいろんな国に行くのも面白そうだ。
留学生寮に住みながら、世話になっていた人の仲立ちで現地の男性に相撲を教えることになった。
30歳のモッルライニ・フランチェスコ。
スポーツ経験の無いエンジニアは、「相撲のチャンピオンになりたい」と言った。
「僕だって挫折したのに。『そんな甘くないよ』って教えてやろうとした」
諦めさせようと、わざときつい稽古をつけた。
プロでも最近敬遠しがちな「かわいがり」。自分の胸に何度もぶつからせ、疲れても、倒れても、終わらせない。
だが、フランチェスコは目を輝かせる。
「この稽古をもっとしてほしい」
週2回だった稽古を増やしてほしいとお願いされ、気づくと、毎日胸を出すようになっていた。
フランチェスコはチャンピオンになれなかった。しかし、彼の姿をみた石浦は変わった。
「夢に制限はないんだなって。フランチェスコが教えてくれました」
思えば、逃げる理由ばかり探していたのかもしれない。
同級生や先輩の角界での出世ぶりから、「じゃあ、自分はこのぐらいかな」と限界を決めつけていた。
体が小さいこと、稽古のブランクがあることを言い訳に、大相撲に挑戦したい気持ちを抑えつけていた。
2013年、宮城野部屋から初土俵を踏んだ。稽古の傍らトレーニングに明け暮れた。
ベンチプレスは最高で200キロ、フルスクワットと、バーベルを床から引き上げる「デッドリフト」は300キロ上がる。
「小兵だからって、いなしたり、動き回ったりするのは逃げているみたいで嫌。前に、前に攻めて勝ちたい」
頭を下げ、相手にぶつかる。力では負けても、食い下がる。4年とかからず幕内力士になれたが、この取り口は、けがにもつながった。
後に医師に聞いた話では、相撲を始めた小学2年の頃からずっと、首に負担がかかり続けていた。
自己最高位の西前頭5枚目だった22年春場所3日目。土俵下へ転落した際、首を打ち付けた。これがとどめになった。
診断名は「中心性頸髄(けいずい)損傷」。首が鈍く痛み、指の感覚はなくなった。
三役昇進を諦めきれなかったが、22年夏、考えが変わった。川の字に寝る妻と3人の子を眺めていた。
「4人の顔を、健康な体でずっと見ていたい。4人の顔を見られることが一番の夢だと思ったら、現役はもういいかなと思いました」
引退相撲では6歳の長男と、3歳の次男と相撲を取るつもりだ。次男は「嫌だ」と言っているから、実現するかは分からないけれど。
断髪式には、フランチェスコが来てくれる。相撲の道に引き戻してくれた感謝を、改めて伝えようと思う。
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石浦引退間垣襲名披露大相撲は6月1日午前11時から。夏場所中、元石浦の間垣親方は国技館1階の「正面3」入り口の近くでチケットを販売している。詳細は事務局の電話070・4698・0601へ。(鈴木健輔)
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