取材中に何回も「信じられませんね」という言葉を発してしまった。
京都府亀岡市で育ち、平安女学院短大では茶道部だった太田美紀子さん(49)。メーカーや現在の職場の京都工芸繊維大(京都市左京区)などで勤務し、30歳を目前にするまで運動歴はほぼ皆無だった。2004年秋に職場の上司が出場した100キロウルトラマラソンの応援で秋田県を訪れ、「老若男女関係なく、疲労困憊(こんぱい)のランナーたちが倒れそうになりながらも懸命にゴールを目指す姿に感動した」のが、走り始めるきっかけとなった。
走り始めてわずか6年で快挙
上司も参加するややハードめのランニング・トレイルのクラブに入った。初めてのフルだった05年の福知山(京都府)は4時間17分8秒と市民ランナーとしては好記録だったが、驚くほどのものではなかった。だが、その後着実にタイムを縮めていく中で潜在能力が開花する。初のウルトラ挑戦となった08年のサロマ湖100キロ(北海道)でいきなりこの種目の一線級を意味する10時間切り。「日本代表も狙える」と驚く周囲の声にも後押しされて、10年のサロマ湖は気温30度を超える日陰のない過酷なコースを、8時間37分台で走り切って女子6位に入賞。同年にジブラルタル(英国領)であった世界選手権に日本陸連から派遣された。この大会で個人13位、国別の上位3選手の合計タイムで争う団体では3位。走り始めてわずか6年で世界大会のメダルを手にしてしまった。
「年齢重ねても勝負できる」
「長い距離が自分に合っていたんでしょうね。100キロはスパートする必要がなく、同じペースを保てればいい。年齢を重ねても経験があれば勝負できます。オリンピック種目でもありませんし」とさらりというが、気づくのが少し遅かっただけで、天賦の才能に恵まれた人はいるのだと感じざるを得ない。100キロ世界選手権は16、18年に団体金メダル、個人も16年5位、18年4位に入った。
普段の練習は、昼休みに職場近くの宝ケ池を回るコースで約7キロ。休み時間内に着替えて慌ただしく昼食をとる。勤務後の夕方は少し長めで約10キロ。週末はクラブの仲間と山中を走るトレイルランなども交えつつ、長いときは約30キロになることも。
月1本ペースで参加するレース前の1週間ほどは短距離のダッシュや上り坂でメリハリをつけるが、距離は「月に400~450キロぐらい」。ストイックに自己記録更新を目指す市民ランナーなら、まあこんなものかと思える範囲内か。夏場を中心にトレイルレースにも出場し、16年にはポルトガルであった世界選手権に出場。渡航直前に競技活動を応援してくれていた父が亡くなり「行っていいのか」という葛藤もあったが、家族などからの励ましを受け、練習不足や精神的なダメージを乗り越え約70キロの山道を最後まで走り抜いた。
これで吹っ切れたのかもしれない。年齢と反比例するように記録が伸び、フルは21年の大阪国際女子で2時間44分53秒の自己ベスト。23年の京都、びわ湖、福知山、24年のびわ湖と女子優勝を重ねている。100キロに至っては23年のサロマ湖で7時間28分42秒の自己ベストを出して女子初優勝を果たした。「いくつになっても記録が伸びると気持ちが上がるものですね」
22年に続いて7回目の出場を目指す100キロ世界選手権の予選を兼ねた今年のサロマ湖は6月30日。人間の持つ不思議な力をどこまで体現して見せてもらえるのか、期待がふくらむ。【矢倉健次】
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