『Bee那須(ビーナス)』という名前でプロレスの試合のレフェリーを務める男性、本業は理学療法士です。学生時代に負った大きなけがの経験を生かし、二刀流で励む姿を追いました。

去年9月、熊本市中央区のくまもと街なか広場で、飲食店自慢の逸品が集まる『フードサミット』がにぎわっていました。会場では、福岡市の九州産業大学プロレス研究部の部員やOBによる試合が行われ、客席を沸かせていました。

【那須 武克(なす・たけかつ)さん】
「ぼちぼち出番です」
(コンディションは?)
「バッチリです。暑いからですね。たまにしか来ない先輩ですけど、頑張ろうという気になりますね、こういうのを見ていると」

リングネーム『Bee那須(ビーナス)』こと熊本市の那須 武克さん39歳です。福岡県北九州市が拠点の社会人プロレス団体『がむしゃらプロレス』に所属するレフェリーです。

この日は大学の先輩や後輩の試合でレフェリーを務めていました。

九州産業大学プロレス研究部は盛んに活動し、全国的にも有名です。しかし、新型コロナの影響で最近は試合の機会が減っていたといいます。

【那須 武克さん】
「(自粛期間中に顔ぶれが)入れ替わったぐらいの後輩がいますので、これだけ(母校に)プロレスの文化が続いているのがうれしいです」

(医療法人杉村会介護老人保健施設のぞみ)
那須さんの本業は理学療法士です。高齢者の病気やけがなどで弱った体の機能を回復・維持するためのリハビリを担当しています。

1日に7、8人を担当しています。1人につき20分から30分ほどをかけて、言葉を交わしながら治療に当たります。

【那須 武克さん】
「家の中で転倒してないかとか生活していて、痛くなったことはないかは聞きますね。そういう情報収集を重ねるように。大きな骨折とかにつながると大変ですからね」

子どもの頃はサッカーに夢中でした。やがて、興味はプロレスに移り、九州産業大学のプロレス研究部へ。好きなことに打ち込む日々でしたが、練習中に大きなけがを負ってしまいました。

(熊本市中央区/ビア・ホールMAN)
【那須 武克さん】
「ちょうど20年前です。僕が退院してすぐ・・・」

【大学の先輩 根岸 佑輔さん】
「私の家に2週間くらい住んでいたんですよ。1人じゃ何も生活できなかったから。『寒いから湯船につかりたいです』と言うから、湯船につからせたんですよ。持ち上げてつからせたんですけど、『出てこんな』と思って(ドアを開けたら)湯船に倒れていたんですよ、のぼせて」
(それは恩人ですね)
「やっぱり性根が優しい奴なので、(リハビリの仕事をすると)聞いたときは似合っているなと思いました」

レスラーになる夢は諦め、卒業後、北九州市で会社員に。しかし、2007年、好きなプロレスに関わりたいと、仕事のかたわら『がむしゃらプロレス』のイベントを手伝うように。やがて、レフェリーになりました。

(客席から声援が送られる)
「Bee那須(ビーナス)!」

【友人 吉井 三津男さん】
「那須君は最高ですよ。僕らプロレスファンにとって唯一の友人がリングに上がってくれてうれしいです」

【『フードサミット』の仕掛け人 山本 和季さん】
「コロナ中もそうですけど、学生さんも試合が減って、そこをお祭りと一緒にできればというところがスタートなので、みんなが楽しくしてくれるのが一番ですね」(レフェリーの那須さんは)
「僕らの熊本大会はなかなかスタッフがいないので、そういったときに良きタイミングでヒョコッと来るんですよ。かゆい所に手が届く子ですね。しっかり僕たちを助けようと思って、サポートしてくれるので、すごく助かります」

大きなけがを負った経験を生かせるのではないかと思い、理学療法士の道へ。28歳から専門学校で学び直しました。

【那須 武克さん】
「けがをしたときの暗い沈んだ気持ちはすごく分かるような気がします。最初、ここに来たときは車イスだった人が杖を使って立って歩いたり、人の人生の何かの役に立っているのがすごくうれしいです」

体の状況を判断し、その人に適したリハビリを組み立てるこの仕事はレフェリーに通じるものがあると那須さんは考えています。

【那須 武克さん】
「プロレスを見て、元気をもらっていただければと思いますし、自分がリハビリをする中で勇気とまではいかないけれど、日々の活力になっていただければと思います。プロレスが一番それに近いものなので(レフェリーも)頑張って続けています。これだけはやめられませんよね。また帰って母親に怒られようと思います」

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