サッカー・J1で昇格1年目に躍進したFC町田ゼルビアは、クラブの成り立ちに特徴がある。かつてはJリーグ初の「屈辱」を味わうなどした苦しい歴史を乗り越えてきた。
1993年に開幕したJリーグは育成年代にチームを持つことを義務づけ、その整備を課題とするクラブも多かったが、町田は77年に始まった育成年代の活動「FC町田トレーニングセンター」をルーツとする。
町田サッカー協会に所属する小学生の選抜チームは全国大会で活躍し、その後は中学生、高校生年代にも対象を広げ、89年に社会人のトップチームができた。
東京都1部リーグに昇格1年目の98年にはクラブ名を「FC町田」から「FC町田ゼルビア」に変更。「ゼルビア」は、町田市の木・ケヤキの英語名「ゼルコバ」と市の花・サルビアを合わせた造語だ。
その後は関東リーグを経て、2009年に日本フットボールリーグ(JFL)に参戦。11年はJFLで3位となり、同年にJリーグ入会が正式承認された。
J2に初参戦した12年は最下位に終わり、Jリーグのクラブで初めてJFLに降格した。14年に始まったJ3に参戦して再びJリーグに戻ると、16年からJ2に復帰。18年はJ1参入プレーオフ(PO)出場圏内(3~6位)の4位に入ったが、本拠地の収容能力がJ1基準を満たさずJ1のクラブライセンスが交付されなかったため、POに出場できなかった。
18年中にIT企業「サイバーエージェント(CA)」がクラブの経営権を取得。練習場やクラブハウス、スタジアム整備が進んだ。東京全域でのマーケティング展開を目指し、19年にクラブ名を「FC町田トウキョウ」に変更すると発表したが、サポーターらの反発で撤回した。
22年12月にCAの藤田晋社長がクラブの運営会社社長に就任。青森山田高を全国高校選手権3度の優勝に導いた黒田剛監督を招へいし、23年にJ2で初優勝してJ1に初昇格した。【高野裕士】
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