笑顔を見せる松岡隼矢選手(右)と祖父の東脩二さん=福岡市博多区で2024年11月28日、吉田航太撮影

 今季一番の冷え込みとなった11月末の福岡・博多。冷たい雨が降る中、待ち合わせ場所のファミリーレストランに入ると、松岡隼矢選手の隣に、笑顔がよく似た祖父の東脩二さん(76)の姿があった。

 11月の西日本選手権で9位に入り、初の全日本選手権出場を決めた松岡選手。フィギュアスケーターとしての原点は、祖父が創設したスケートクラブだ。

 現在、福岡市を拠点に「福岡フィギュアアカデミー」で練習を重ねる松岡選手は熊本市出身。スケートは小学1年生から始め、そのきっかけは祖父の存在抜きには語れない。なぜなら、祖父の東さんは高校時代からスピードスケートやアイスホッケーに打ち込み、国体には選手として20回以上出場した氷上の実力者だからだ。

 熊本県スケート連盟理事でもあり、周囲からフィギュアスケートクラブの設立を熱望され、2007年に「熊本バンビーニクラブ」を創設した。「バンビーニ」はイタリア語で子どもたちを意味し、これまでに松岡選手を含め約200人が在籍。地元でスケートの普及に貢献してきた。

 現在も4人の選手がブロック大会などに出場するが、熊本県内の練習環境は非常に厳しい。施設はアクアドームくまもとに12月から3月の冬季限定で設置されるリンクのみ(今季は改修工事のため休業)。そのため、大会に出る選手たちは常設リンクがある福岡県内に通わないと練習ができず、経済的な理由でやめていく選手たちも少なくない。

 東さんは県スケート連盟の理事長時代に、常設リンク設置を求めて活動するも願いはかなわなかった。「やはり、リンクがないと始まらない。興味を持って始めた子どもたちも、慣れた頃には終わりが来る。わざわざ福岡に通うのも難しい」と嘆き、通年は難しくても、リンクの開設期間延長を切望している。

西日本選手権の男子フリーで演技する松岡隼矢選手=名古屋市南区の日本ガイシアリーナで2024年11月3日、吉田航太撮影

 松岡選手は熊本バンビーニクラブ出身者として初の全日本選手権出場となった。東さんは「楽しくやってほしい。それが私の希望です」とほほえんだ。松岡選手は「もう少し早く出る予定だったんですが」と苦笑いしながら、意気込みも語ってくれた。「これまで支えてくれた家族や応援してくれる人たちに、少しでもスケートで恩返しできれば。晴れ舞台で力まず演技をして、また熊本から後進の選手が出てきてほしい」

 取材の終盤、雨もあがって晴れ間がのぞいてきた。屋外へ撮影に誘い、「肩組んでみようか」と提案した。松岡選手は照れくさそうに祖父に腕を回した。笑顔を見せる2人に、スケート家族の優しい絆を感じた。

 全日本選手権は20日から大阪で開催される。祖母や両親は現地で応援する予定だが、祖父は行かないという。大会を見ると教えたくなる性分という東さん。あえて、松岡選手の原点である熊本に残り、活躍を祈るつもりだ。【吉田航太】

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