現在、社会人チームの南葛SCに所属する稲本選手は4日、都内で記者会見に臨みました。
この中で稲本選手は「今シーズンをもって引退することを決めました」と述べて、現役引退を表明しました。
稲本選手は鹿児島県出身の45歳。ガンバ大阪で当時の最年少記録となる17歳6か月でJリーグデビューを果たし、攻撃力も備えた守備的ミッドフィルダーとして活躍しました。
ワールドカップには2002年の日韓大会から3大会連続で出場。日韓大会では1次リーグで2試合連続ゴールを決めて日本の初めての決勝トーナメント進出に貢献しました。
日本代表としては通算82試合に出場して、5得点をあげています。
ガンバのほか、イングランドプレミアリーグのアーセナルなど、国内外の多くのクラブを経験し、おととしから「キャプテン翼」の作者、高橋陽一さんが代表を務める漫画と同じ名前の社会人チーム、南葛SCでプレーしていました。
《稲本潤一(いなもと・じゅんいち) 経歴》
稲本潤一選手は鹿児島県出身の45歳。主に守備的ミッドフィルダーとしてプレーし、守りだけでなくタイミングよく前線に飛び出す攻撃参加でも存在感が光りました。
ガンバ大阪のユース出身で当時の最年少記録となる17歳6か月でJリーグデビューを果たすなど早くから頭角を現し、小野伸二さんなどとともに「黄金世代」と言われるメンバーの1人として1999年の世界ユース選手権で準優勝したほか、2000年のシドニーオリンピックにも出場しました。
22歳で出場した2002年のワールドカップ日韓大会では1次リーグの初戦のベルギー戦と続くロシア戦で2試合連続ゴールで決めて、初の決勝トーナメント進出に大きく貢献しました。
ゴールを決めた稲本選手が人さし指を伸ばして喜ぶ姿は日本サッカー史の名シーンとして多くのサッカーファンの記憶に刻まれています。
その後も2006年のドイツ大会、2010年の南アフリカ大会と3大会連続でワールドカップを経験するなど日本代表として通算82試合に出場し、5得点をあげました。
クラブチームでは、ヨーロッパでプレーする日本選手がほとんどいなかった2001年にイングランドプレミアリーグの強豪、アーセナルに移籍。アーセナルでのプレーは1シーズンのみで、リーグ戦の出場機会はありませんでしたが、翌年に移籍したフラムでは日本選手として初めてプレミアリーグに出場し、カップ戦ではハットトリックを記録しました。
海外では7つのクラブでプレーし、トルコ1部のガラタサライではヨーロッパ最高峰の舞台となるチャンピオンズリーグでゴールをあげるなど、今や当たり前となった日本選手の海外挑戦への道を切り開いた1人でした。
2010年には川崎フロンターレに移籍してJリーグに9年ぶりに復帰し、北海道コンサドーレ札幌ではかつての盟友、小野さんとチームメートとなり、話題となりました。
そしておととしから、人気漫画「キャプテン翼」で主人公が所属したチームと同じ名前の社会人チーム、「南葛SC」でプレーを続けていました。
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