11月9日から10日にかけて開かれたマスターズ甲子園。

全国各地から高校野球のOBやOGなど、20チーム877人が出場しました。

このうち9割近くが甲子園の出場経験がなく、初めてグラウンドに立ちました。

選手宣誓

「夢にまで見た憧れの地、甲子園 けがなく事故なく病気なく、21回大会を最後まで熱く盛り上げ、正々堂々プレーすることを誓います」

マスターズ甲子園は毎年秋に開催され、ことしで21回目。

各校で結成されたOBチームが地方予選を勝ち抜くなどして憧れの地に立ちました。

出場資格は、選手だけでなくマネージャーや監督などスタッフも含まれ、性別や年齢に関係なく出場することができます。

大阪の代表は、かつて甲子園を沸かせた強豪、PL学園。

現在野球部は休部状態ですが、歴史を紡いでいこうとOBたちが集まりました。

ことし出場したチームの中で最高齢となる、88歳の井元俊秀さん。

PL学園野球部の1期生で、桑田さんと清原さんの「K・Kコンビ」や阪神などで活躍した福留さんらをスカウトするなど、長くチームに携わってきました。

井元俊秀さん

教え子に誘われて参加を決めた井元さん。

足を悪くしていますが、リハビリの回数を増やし、体力づくりに取り組んできました。

久しぶりに会う教え子たちに元気な姿を見せたいと言います。

井元俊秀さん
「みんなの顔をね、卒業生、自分がスカウトした生徒の成長した姿、初めて卒業してから会う子がほとんどですよ。今度の甲子園は楽しみ」

迎えた当日。

井元さんはエースナンバー1を背負い、選手として大会に参加しました。

61年ぶりとなる甲子園、ベンチから試合を見守ります。

一方、グラウンドでは人一倍、特別な思いで臨んでいる選手もいました。

里村翼さんは高校時代、甲子園に出場することができませんでした。

里村翼さん

いまでも忘れられない試合があるといいます。

2008年、高校3年時の夏の地方大会決勝、自身のエラーでサヨナラ負けを喫し、甲子園にあと一歩、届きませんでした。

里村翼さん
「やっぱり夢がついえた瞬間というのは人生でまさにあのタイミングかなと思いますので、非常にいまでも印象的に覚えてます。また同じエラーをしないように気をつけたいなと思います」

この日、スタメンで出場した里村さん。

高校時代と同じショートを守ります。

しかし足が動かず、エラーをしてしまいます。

そのウラの攻撃で打席が回ってきた里村さんはレフトへ大きな当たりを放ちます。

これがランニングホームランとなり、守備の失敗を取り返しました。

里村翼さん
「先にエラーしちゃってるんで、全力で走りました。感動のひと言ですね。夢の舞台に立てたことがまずうれしいですし、今でも誰かに応援してもらって野球ができるという幸せを感じることができました」

試合は、PL学園が勝利。

ウイニングボールは井元さんに贈られました。

井元俊秀さん
「もらいましたボール、『ぜひとも思い出に』『おめでとうございます』と言ってもらいました。もう最高です。いい死に土産ができた」

高校時代とはまた違った景色の甲子園。

いくつになっても夢を追いかけ続ける、大人たちの姿がありました。

(11月20日 ほっと関西で放送)

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