飯田藍さん=長男の剛さん提供

 女子テニスの普及に尽力した日本テニス協会顧問で元副会長の飯田藍(いいだ・あい)さんが21日、くも膜下出血のため亡くなった。85歳だった。ジュニア選手の育成にも定評があり、松岡修造さん(57)ら日本を代表する多くのトッププレーヤーを育てた。

 飯田さんは大阪市出身。大阪女学院高でテニスを始め、1960年代に全日本テニス選手権の混合ダブルスに優勝、同女子ダブルス準優勝、60~70年代には毎日テニス選手権で単複優勝。75年に全豪オープンに出場するなど活躍した。

 指導者になってからは「藍先生」と呼ばれ親しまれた。立ち上げにも関わった東京都町田市のグリーンテニスクラブで会員の子どもを教えたのがジュニア選手育成の原点だ。

WTAのレジェンド同窓会に参加した飯田藍さん(2列目左から2人目)=東京都江東区の有明テニスの森で2024年10月25日、(C)Jimmie48

 東京都調布市の桜田倶楽部などで指導にあたり、若き日の松岡さんや96年のアトランタ・オリンピックに出場した鈴木貴男さん(48)ら多くの日本代表を育てた。

 教え子のプレースタイルはさまざまで、子どもたちの個性を尊重した。選手育成の実績を買われ、99年には女性初の日本テニス協会強化委員長に就任した。

 女子テニスの発展にも力を注いだ。67年に発足会議が開かれた日本女子テニス連盟(JLTF)に発起人として関わり、会長として普及の先頭に立った。

 84年に始まった女子テニスの国際大会「東レ・パンパシフィック・オープンテニストーナメント」(東レPPO)では、第3回からアシスタントディレクターを任され(今年はアドバイザー)、「女子のテニスは女子の手で運営」を目指した。

 当時は国内に国際舞台の経験がある審判がほとんどおらず、JLTFで積極的に審判も養成し、多くの女性が競技運営を担う道筋をつけた。

 80代になってもジュニアからプロの大会まで精力的に見て回っていた。今年10月には東レPPOの会場で、女子ツアーを統括する女子テニス協会(WTA)が「レジェンド同窓会」をアジアで初めて開催。伊達公子さん(54)や杉山愛さん(49)ら元トッププロと共に出席し、「毎年この大会で集まれるといいですね」とうれしそうに話していた。

 長女の西野栄(えい)さん(57)は4大大会で活躍した元プロテニスプレーヤーで、今年から東レPPOのトーナメントディレクターを務めている。

 葬儀は近親者のみで営まれる予定で、お別れの会が後日開かれる。【長野宏美】

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