早川太貴さん(24)
10月24日、プロ野球ドラフト会議。阪神の育成3位で名前を呼ばれると、最速151キロ右腕は、ホッとした表情を浮かべた。創設1年目の球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」から初めて指名された選手となった。
1年前は公務員だった。昨年11月、当時はまだチーム名も決まっていなかったくふうハヤテのトライアウト(入団テスト)を受けた。安定した職を辞め厳しい挑戦を選んだのは、日本野球機構(NPB)のセパ12球団で投げるという夢に「一番近い場所」だと思ったからだ。
数年後の自分を想像してみた。市役所で働いている自分と、悔いなく野球をやり切った自分。「野球を最後までやり切った方が、次の道に未練なく進めるかな、と決断した」
入団後、初めて野球だけに集中する日々を過ごした。練習だけでなく、生活すべてが野球中心。寮生活をしながら、支給される食費で栄養を考え、筋肉量や体重を自己管理した。オフはジムに通い、温泉で体のケアにも努めた。
チームメートも皆、同じようにドラフト指名やNPBへの復帰を目指し、高い志を持っていた。田中健二朗投手や福田秀平外野手らNPBで実績のある先輩たちの助言は説得力があり、大きな力になった。なんといっても、試合は2軍公式戦でNPB12球団の関係者が必ずプレーを見る。高評価を得られればドラフト指名への道が開ける環境は恵まれていた。じっさい、阪神戦で好投し、チャンスをつかんだ。
高校も大学も、いわゆる「強豪校」ではなかった。高3の夏はひじを骨折して最後の大会で投げられなかった。大学でトレーニングを工夫すると、球速が147キロに上がった。「まだできるんじゃないか。野球をやり切ろう」
社会人では、北海道北広島市役所の福祉課に勤めながらクラブチーム「ウイン北広島」でプレーを続けた。週2回の全体練習は勤務時間前の午前4時半に始まる。全体練習のない日も朝の自主練習やウェートトレーニングを続けた。「毎朝しんどかった」が、自分で決めたことを貫いた。
結果は球速に表れた。150キロに伸び、ドラフト候補として注目された。しかし、昨年途中で調子を崩し、大事な試合で投げられず悔いが残った。新天地で臨んだ今年、ドラフトでの指名は「本当にうれしかった。今まで頑張ってきたことも間違っていなかったのかなと思う」。1軍の試合に出られない育成契約の指名だが、「早く実力をつけて、すぐ1軍で使えると思ってもらえるよう、来年の戦力になれるよう頑張りたい」。
交流戦で、北広島市内にある日本ハム本拠地「エスコンフィールド北海道」のマウンドに立つことも目標だ。(斉藤智子)
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1999年生まれ、北海道江別市出身。市内の大麻(おおあさ)高から小樽商科大に進み2022年、北広島市職員に。今季からくふうハヤテに入り、25試合に登板して4勝7敗、防御率3・22。身長185センチ、体重95キロ。右投げ右打ち。
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