「ゴジラ」を超えた愛弟子に今、伝えたいことは――。米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)が、松井秀喜さんの通算175号を抜き、メジャー日本選手最多本塁打の記録を更新している。二刀流を後押しした日本ハムの栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO、63)が、大谷選手に対して今も背負う責任について語った。
【構成・角田直哉】
偉業にも「まだまだ」
――メモリアルな一発は、日本時間の4月22日のメッツ戦で出た。三回、スライダーを振り抜くと、相手外野手も手を後ろで組んで追うのを諦めた。野球の本場、米国の地で描いた176本目のアーチ。新たな金字塔の感想を聞かれた栗山さんは、困ったように笑みを浮かべた。
◆ホームラン王を取るとか、どのくらいの数字を残すとかっていうのは、僕はイメージしたことは正直なかったです。数字を決めると、そこを超えていくと「良かったね」ってなっちゃうので。誰か天井を決めない人が周りにいなければいけないっていうのは、僕の預かった責任だったので、今もそういう感覚は持ってますけれども。ただ世界一の選手になるって本当に思って5年間で出したので。早く出せば必ず世界一の選手になるって信じて我々は出したっていうのは、事実なんですよ。
――岩手・花巻東高から直接大リーグ入りを模索していた大谷選手をドラフト会議で指名。投打の二刀流での育成プランを提示したのが当時日本ハム監督だった栗山さんだった。批判的な周囲の声にも屈せず土台を築き2017年オフに大リーグに送り出した。大谷選手はメジャーで2度の最優秀選手(MVP)に輝くなど歴史を塗り替えた。ただ「世界一の選手」への到達には、まだできることがある。
◆世界で一番うまい選手になりつつありますけど、まだ本当にやれることいっぱいあるねって、まだ真ん中ぐらいだねって。本人は怒ると思いますけど、そういう感覚の人がいるということも僕は大事だと思うので、そこは一切天井を下げるつもりないです。ホームラン王を取っても、昨季どのくらいあるんですかね、ホームランを打てる球って。めちゃめちゃ来てますよね。翔平、それ打ち損なうんだ、みたいな。逆に言えばそのくらい僕は彼のことを信じ切っているので。やってくれるという信頼はもう抜群なので。
信じるの先へ 著書に込めた思い
――信じ切る。
野球人として栗山さんが大切にしてきた考えだ。新著「信じ切る力 生き方で運をコントロールする50の心がけ」(講談社)では、日本ハムで大谷選手と歩んできた二刀流の道のりや、野球日本代表「侍ジャパン」を率いて世界一を奪還した23年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での戦い、栗山さん自身の現役・キャスター生活などを振り返りながら、「信じる」の先にある「信じ切る」という考え方をまとめた。
◆(WBCを終えて)一回落ち着いて、自分が本当に侍ジャパンだけではなくて、ファイターズ時代もすごく勉強になったので、そういう自分が大事だと思ったことは、次の世代の誰かがもしかすると参考にしてくれるかもしれない、残しておきたいと考えていた。監督をやっていて、人の力をどうやったら引き出してあげられるのか。本当にいろんなやり方があるとは思います。例えば僕がすごい結果を残した選手だったら、何を言ってもその言葉が選手に入ったりする可能性もある。でも、そうではないので。僕にとって、監督の大事なことは一言で言うと信じ切ってあげられるかどうか。送り出した以上、「こいつだったら絶対に大丈夫だ」と思えるか。それができない時は自分に嫌気が差すし、選手も結果が出ないなっていうのも段々気付いてきた。
――日本ハム監督時代の「信じ切った」経験で印象的なエピソードを聞くと2人の名前が出てきた。
◆例えば吉川(光夫・現BC栃木)ですね。3年間(09~11年)勝てなかったが、僕は彼を信じていて、その後(12年)MVPに輝いた。斎藤佑樹もそうです。勝ち負けではなくて、あれだけのスター選手が、泥だらけになる姿っていうのはすごく意味を持つというふうに思ってて。今思うと結構厳しくしましたけど、そういう姿で最後までやり切ったことが今につながっているように僕は思う。彼は僕のこと嫌いかもしれないけど、それはそれでいい(笑い)。野球の勝負もそうだけど、その先の人生の勝負がある。佑樹が僕らの年になった時に一番やりたいことを、やっていてほしいなっていう思いはあります。
大谷対トラウト 初めての感情
――日本球界の未来を懸けた戦い、と位置づけた昨年のWBC。準決勝のメキシコ戦では不調でも覚悟を決めて起用した村上宗隆選手(ヤクルト)の逆転打でサヨナラ勝ち。決勝の米国戦は1点リードの九回に大谷選手が指名打者(DH)を解除して守護神としてマウンドへ。最後は盟友のマイク・トラウト選手(エンゼルス)を空振り三振に切って取り、映画のようなストーリーが完結した。著書に記した「神様に認めてもらう」ことが具現化されたような1シーンだった。
◆あり得ないじゃないですか、決勝の最後が大谷対トラウトですよ。そんなもん絶対にあり得ない、確率的にも。でも実際に起こった。(ドジャースのムーキー)ベッツがゲッツー(併殺打)打って、トラウトを見た瞬間に「勝った」と思ったんです、本当に。生まれて初めてです、勝負してて。ゲッツーで「よしっ」って選手も思うし、監督としては「まだ、終わってない」と言いたくなるようなシーンなのに、監督の僕が一番先に勝ったと思った。最後の最後までダメなことを想定して準備をするのが監督の仕事ですけど、あの時だけ唯一これで勝ったっていうふうに思えた、自分がそう落ち着けた瞬間でした。何か我々一人一人が、生きる意味とか使命とかがあって、やらなきゃいけないことを楽しみながらやり切るという、監督として僕の感じたことを証明してくれたシーンだったのかなと思いますけど。
――WBCで主役を演じきった大谷選手は、活躍の場をドジャースに移した今季も進化は止まらない。「野球界の親」でもある栗山さんが常に感じるのは責任感。愛弟子を称賛することも、褒めることもほぼないが、「よく頑張った」と言葉を贈る日は来るのだろうか。
◆(大谷選手が)引退する時ですね。引退する時に「何かやっぱり(投手と野手の)二つやって、野球楽しかったっす」ってもし言ってくれるのであれば、それは本当に心の底から「ありがとうな、翔平」っていうことなんだと思いますけど。それまでは単純に、翔平のバッティングとかを楽しめるという感覚はなかなか持ちづらくて、何か心配して見てるんですよね、いつも。それは責任ですね。要するに翔平をああいう形で預かった責任として、やっぱり本当に頂点に持っていかなきゃいけないという部分があると思うので。もうあなたのチームの選手じゃないでしょって言われるかもしれないですけど、そこはできる限りのことしてあげたいなとは思っていますね。
――「信じ切った」先に待つ未来をイメージした栗山さんのまなざしはより一層、優しくなった。
栗山英樹(くりやま・ひでき)
東京・創価高、東京学芸大を経て1984年にドラフト外でヤクルト入団。89年に外野手でゴールデングラブ賞を獲得するなど活躍し、90年に引退した。2011年オフに日本ハム監督に就任、リーグ優勝2回、日本一に1回輝いた。21年12月に日本代表「侍ジャパン」監督に就任し、23年3月のWBCで3大会ぶり3度目の優勝。現在は日本ハムのチーフ・ベースボール・オフィサーを務める。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。