1997年夏。「ビッグNスタジアム」の愛称で知られる長崎県営野球場のこけら落としは、全国高校野球選手権長崎大会の準決勝だった。

 その前に、約1万3千人の観衆を集めて式典が催された。宴が終わり、第1試合の先発メンバーも発表された中で、今大会初登板になる最有力校のエース右腕が緊張感をもって室内練習場のブルペンで肩慣らしをしていた。

 長崎日大の百武克樹だ。

 「痛い」。声には出さなかったが、背中に痛みを感じた。やばいと思ったが、「痛みのことは周りに言えなかった」。新球場で最初に上がった晴れのマウンドだが、一回に満塁本塁打を浴び、7安打を許して二回途中で降板した。「腕が思い切り振れず、ごまかしがきかなかった」

 二回までの10失点が響き、打線は奮起したものの12―14で敗れた。1年夏に出場して以来の甲子園出場の道が絶たれた。

 大会直前、フォームを上手から横手に変えた。「ふだんと違うことをしているんで、筋肉が痛かったのか……」。寝たら治ると思った痛みは引かなかった。ただ、治療に何度も通ったかいもあってか、緩和してきた。こけら落としで、相手はライバルと目された長崎南山だった。準決勝の先発マウンドはけがをしてからずっと思い描いていた場所だった。

 翌日の決勝は、新球場の観客席で長崎南山の甲子園行きを見守った。

 「今となってはいい思い出。でも、大学に進んで思い返すと、マウンドに上がってはいけなかった」

 亜細亜大、松下電器(2008年からパナソニック)で選手、マネジャーとして野球を続けた。10年前からは会社勤めの傍ら、履正社(大阪)で外部コーチとして投手を指導している。

 コーチになって2回目の夏の甲子園出場だった19年。同校が全国制覇を成し遂げた。会議中だったが、その瞬間はスマホの動画で確認した。

 「心の中でガッツポーズした。ホッとした気持ちの方が強かった。それにしても、高校野球って魅力がある。すごく面白い」

 45歳の元高校球児は目を輝かせる。

 球場長の角西政信(67)は長崎県高野連理事長を務めた。2005年から10年間の在任時を振り返り、「ここが甲子園だという気持ちで試合をしてほしいと球児に声がけしたことを覚えている」。

 九州大会で他県の理事長を案内すると、人工芝だけでなく室内練習場やロッカーといった施設面の充実を感じる人が多かったという。

 球場に勤める鶴巻亨(37)は、小学生当時から野球少年で、こけら落としの試合や式典を観客席で見ていた。

 「入った瞬間の(人工芝の)緑の鮮やかさと、新しくできた建物のにおいを感じた」

奇跡的なできごと

 野球以外の目的で使われる球場は数多い。

 角西や鶴巻が二つ挙げる長崎らしい出来事が、19年に球場であったミサにローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が訪れたことと、その10年前、長崎市出身のアーティスト福山雅治が地元でライブを行った際に、県民対象の無料のパブリックビューイング(PV)が催されたことだ。

 鶴巻にとっては、二つとも奇跡とからめた思い出がある。

 「直前まで大雨で予報も雨だったのにミサのときには晴れ上がり、奇跡の太陽といわれた」。PVについては、「周辺に住宅が多いのに、クレームがほとんどなかった。地元出身のスターだとしても、奇跡的なことだった」

 福山の奇跡をもたらしたのは、長崎独自の青年団体のメンバーだ。

 長崎青年協会にとって、09年は創立40周年だった。記念イベントの内容について話し合ううちに、地域貢献の一番の方法が、長崎市で福山にライブをしてもらうことだとなった。

 「実現するかは半信半疑だった。妄想の中で動いていたので」と当時の会長・麓(ふもと)浩二(55)は回想する。同世代とはいえ、麓は鹿児島県生まれで面識もなかった。

 「私たちは頭を使うよりも汗を流すという団体なので、署名活動を始めた」

 福山人気と青年協会の行動力が相乗効果となったためか、署名の数は4万に達した。そして、福山の所属事務所の知るところとなり、ラジオの深夜番組で福山自身が署名活動について語るに至った。

 麓は「事前に何も聞かされていなかったので驚いた」。翌週の放送に呼ばれ、福山自身が開催を発表した。

 会場は夜景の名所として名高い稲佐山公園。テーマは「音(おん)返し」。ただ、有料のステージに行く人は県外から来るファンだと想定された。

 「地元への恩返しを掲げても、あまり意味がない」という話から、県民限定の無料PVを万単位の人が入れる野球場で催す話が持ち上がった。

 8月29、30日の開催の2カ月前に、長崎市での記者会見で詳細を発表した。3方向から見られる巨大スクリーン、福山がソフトボールで始球式をして、ヘリで稲佐山に向かう演出……。目立つ部分もあるが、路面電車やバスの増便依頼や近隣住民へのアナウンス、苦情対策室の設置といった地味な苦労は数知れない。警察や消防、行政の協力も大きかった。

 「開催するころには、行政、市民を挙げてのイベントになっちゃっていたから、文句というよりもみんなで応援する形になった」と麓は振り返る。

 そして、元高校球児だからではないが、2万5千人収容の野球場があってよかったという思いも強い。

 「天候が心配だから、屋外でないほうがいいという声もあった。ただ当時、2万も入るハコ(建物)が長崎にはほかになかったし、球場から稲佐山が見えることもよかった」

 福山は今年10月、サッカースタジアムを中心とする大型複合施設、長崎スタジアムシティ(長崎市)で無料ライブを行うなど、地元とのつながりを持ち続けている。そして、長崎青年協会と福山の縁は今も続いている。=敬称略(八鍬耕造)

長崎県営野球場

 1997年完成。長崎市営大橋球場跡地に建てられた。周辺には陸上競技場、ラグビー・サッカー場、総合プールもある。両翼99.1メートル、中堅122メートル。内外野とも人工芝。約2万5千人収容できる。路面電車の大橋駅、バス停のそばにある。プロ野球は今季、8月28日にソフトバンク―オリックスが行われたほか、2000年にはオールスターも催された。

最近10大会の全国高校野球選手権の長崎代表

2015年 創成館(2回戦)

 16年 長崎商(1回戦)

 17年 波佐見(1回戦)

 18年 創成館(1回戦)

 19年 海 星(3回戦)

 20年 新型コロナで中止

 21年 長崎商(3回戦)

 22年 海 星(3回戦)

 23年 創成館(3回戦)

 24年 創成館(2回戦)

 かっこ内は全国高校野球選手権大会での成績

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