朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんが選手と対談したり、競技を体験したりする「慎吾とゆくパラロード」。今回は、今夏のパリ・パラリンピックで金メダルを獲得した車いすラグビー日本代表の池崎大輔(46)、倉橋香衣(34)両選手と語り合いました。2人は悲願の「金」を喜びながらも、この偉業を競技の普及や発展につなげていくことが大事だと言います。
- 慎吾とゆくパラロード
香取慎吾(以下、香取) 2016年リオデジャネイロ、21年東京の両パラリンピックは銅。そしてパリでは金。ついに世界の頂点に立ちました。
池崎大輔(以下、池崎) 僕はこれまで楽しんでラグビーをすることがなかったんです。結果を出す、期待に応える、そんなことばかり考えて力みがあったように思う。パリではこれまでの臨み方から変化をつけ、自分らしくプレーすることを心掛けました。
倉橋香衣(以下、倉橋) 私は前回の東京は楽しめなかったことに後悔を感じていました。緩んだ表情をしていてはみんなの士気を下げてしまうと考えていたからです。でも、今回は本来の自分で挑みたい。楽しみながらプレーできたことが好結果につながったと感じています。
「俺、怖くてしょうがない」
香取 それでも怖さはあったんじゃない?
池崎 めちゃくちゃありました。準決勝の豪州戦前は本当に怖かった。過去3大会は準決勝の壁を破れていませんでしたから。大一番の前、主将の池(透暢(ゆきのぶ))に言ったんです。「俺、怖くてしょうがない」って。
香取 池さんは何と?
池崎 池は「大丈夫。自信を持っていこう」と励ましてくれた。もう一つ、後押しとなったのは応援の力です。前回はコロナ禍の影響で無観客でしたが、今回は声援が僕たちをより強くしてくれたように感じました。
倉橋 確かに有観客のパラリンピックは雰囲気が全く違いました。声援が自分たちの力になり、全員で戦うという感覚で、よりゲームが楽しく感じられた気がします。
香取慎吾さんと車いすラグビーの池崎大輔、倉橋香衣両選手による対談は10月29日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも紹介します。
香取 鬼門だった準決勝。土壇場で同点に追いつき、延長戦では1点差で振り切った。障害の重い、主に守備役のローポインターたちの活躍が光っていたように思う。
池崎 豪州の中心選手で点取り屋のクリス・ボンドとライリー・バットの両選手が一番嫌いな選手に挙げたのが、香衣ちゃん(倉橋)だった。
倉橋 相手の嫌がる動きをするのが自分の役割なので、そう言われてうれしい。準決勝は何とか日本に流れを引き戻さないと、と考えていた。障害の軽い選手と重い選手が連係して相手をコート端に追い込み、圧力をかけてミスを誘う。理想の戦い方ができた。試合が終わるまで気持ちでは負けていませんでした。
池崎 誰も勝利を諦めていなかった。コートの4人は障害の軽重が様々で、その組み合わせが高いレベルで豊富なのが日本の強み。誰がどの場面で出場しても重圧をかけて点を奪うことができました。勝利への執念も相手より上だったと思います。
香取 この金メダルはただのメダルではないように思う。パラスポーツの中でも車いす競技は特に選手人口が強豪国に比べて少ないということを耳にします。選手層をより厚くするには若手の台頭は不可欠で、この偉業によって、やってみたいという選手が新たに出てくるかもしれない。そういう意味では、ここが新たなスタートという感じがする。
池崎 大会を通じて香衣ちゃんが出場し、活躍したことで障害の程度や性別を問わず、誰もが参加できる多様性のある競技という魅力を発信することができました。
6年前の忘れられない言葉
香取 豪州や米国などとの体格差というハンディを打ち破っての金メダルには優勝以上の価値がある。僕には忘れられない池崎さんの言葉があるんです。6年前のこの企画で対談した時、「(障害があることで)人生、2度楽しめている。香取さんがもし車いす生活になられたら、僕らのチームに入って欲しい。待っています」と言葉を掛けてくれたんです。
池崎 体の一部が不自由になっても、また違った世界があるということを伝えたかった。
香取 車いす生活はどこか絶望的、真っ暗な世界だと思っていたけれど、違ったんだと気づかされた。パラスポーツの見方を変え、人生の先に光をともしてくれる言葉でした。
倉橋 ケガをしてよかったとは思わないけど、健常者から障害者となったことで自分の生きる世界が広がったと前向きにとらえています。まさに人生2度楽しめています。
香取 2人にとって金メダル獲得はあくまで通過点ですか?
倉橋 私はこれを機に女性選手をより増やしていきたいと考えています。数年前は女性というだけで注目されることに抵抗を感じていましたが、今は競技を知ってもらうための手段でありチャンスだと捉えている。取り組みを続けることで少しずつ裾野が広がり、競技レベルも上がるかもしれません。一緒に競技を楽しめる仲間を増やしていきたい。
池崎 僕には大きな夢があるんです。車いすラグビーだけでなく車いすテニスや車いすバスケットボール、ゴールボールなどの選手が日替わりでいつでも使える体育館を造りたい。以前からパラの競技環境を整備していきたいという思いがありましたから。
香取 金メダル獲得が終わりではなく、まさにここからが始まりなんだね。
池崎 このメダルを競技の普及、発展にどうつなげていくか、ということが大事になる。まず僕らが競技生活を送る中でしてきた苦労を、これからのアスリートにはさせたくない。思い描く体育館はそんな思いのこもった施設です。競技を続けながら車いすラグビーの発展に寄与していきたいと思います。
香取 お二人からは金メダリストとしてのオーラと使命感のようなものを感じました。今のパラスポーツの認知度やムーブメントの高まりは、パラを応援し始めた7年前に思っていたよりも足りていないように感じる。もっと多くの人にこの世界を知ってもらいたい。これからも応援し続けます。(構成・榊原一生、藤野隆晃)
池崎大輔(いけざき・だいすけ) 北海道函館市出身。6歳の時に手足の筋力が徐々に低下する難病を発症。2008年、車いすバスケットボールから車いすラグビーに転向し、10年から日本代表。16年リオデジャネイロ、21年東京の両パラリンピックで銅メダル獲得に貢献した。
倉橋香衣(くらはし・かえ) 神戸市出身。大学3年だった2011年、トランポリンの大会で技を失敗し、首を骨折した。15年から本格的に車いすラグビーを始め、17年に女子選手として初めて日本代表に選出。21年東京パラリンピックでは銅メダル獲得に貢献した。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。