“アマチュアナンバーワン野手”

宗山選手はミート力のあるバッティングと軽やかなグラブさばきが光る軽やかな守備が持ち味。

東京六大学のリーグ戦で積み重ねたヒット数は通算116本、歴代8位で、ことし2月には大学生としては異例の日本代表のトップチームに選出され「アマチュアナンバーワン野手」として注目されていました。
(記録は10月24日時点)

ドラフト前の取材では落ち着いた口ぶりながらも、日焼けした精かんな顔つきで当日を待ちわびる心境を話しました。

宗山塁 選手
「本当に1日ずつ近づいてきてるなっていうのは日々思ってますし1番いい評価をしていただけた球団に行ければなって思いです」

高校時代は広島の広陵で2年生までに甲子園に2回出場。

キャプテンとなりむかえた3年の時はコロナ禍で春夏ともに甲子園での大会が中止になった世代でもあります。

宗山選手は「実力を磨いてプロに進みたい」と明治大へ進学。

大学のマネージャーは『オフの日もチームメイトを誘って練習しています』と話し、人一倍の練習量でトップクラスの評価を受けるまでに成長しました。

9年間1日も休まず練習

そんな華やかな経歴をもつ宗山選手の原点はふるさと広島にありました。

県北部の山あいにある三次市三良坂町。

自身もかつて広陵高校で甲子園を目指し、現在は市役所に勤めながら少年野球で指導している父親の伸吉さん(49)は、宗山選手が野球を始めたときのことを今でも覚えています。

父 伸吉さん
「自分も少年野球に入りたいと言いだしまして『毎日練習しましょう』ということを約束して『その約束が守れるんだったら入ってもいいよ』といいました」

その練習を重ねたのが自宅の庭にある手作りの練習場です。

伸吉さんは雨の日でも練習できるよう知り合いに頼んで屋根も設置。

小学1年生から高校に入学するまでの9年間、宗山選手は父との約束通り、正月でも、家族で旅行に行った日であっても1日も欠かさず練習していたといいます。

中でも取材して驚いたのは、その練習内容です。

宗山選手は足が速くなるため伸吉さんにタイヤを調達してもらい、穴をあけてひもを通し、そのタイヤを引っ張りながら土手を走ったり、練習場の屋根にひもをくくりつけて登り、腕の筋肉を鍛えたりしていたといいます。

小さいころから、みずから目的を設定し、そのためにどんな練習やトレーニングが必要なのか考えて工夫をこらしながら練習をしていました。

宗山選手は仕事終わりの父と二人三脚で練習を続けた日々が野球人生の糧となっているといいます。

宗山塁 選手
「継続することの大切さであったりとか、野球への向き合い方っていうのを小さい頃にすごく教えてもらったので、それが今にもつながっています。今自分がこういう思いで野球できているのは父のおかげです」

ドラフト年にけが…それでも

大きな成長を遂げドラフトの年を迎えた宗山選手でしたが、春先の試合でデッドボールを受けて右の肩甲骨を骨折し全治3か月と診断。

日本代表のトップチームに抜てきされ、ひとあし早くプロに交じってプレーする姿が期待されましたが、同じく代表に選ばれたドラフト候補の3人(金丸夢斗投手、中村優斗投手、西川史礁選手)が「JAPAN」のユニフォームでプロ顔負けの華々しい活躍を見せた一方で、宗山選手のみケガの影響で出場機会はなし。
その後もドラフトイヤーの大事な年に、本格的な練習ができない日々が続きました。

そんな中でも幼い頃から常に「野球がうまくなるためには何が必要か」ということを考え練習を重ねてきた宗山選手は、この時期を前向きに捉えていました。

改めて自分の体を見つめ直す中で重点的に鍛え直したのがプレーの土台となる下半身でした。

より力強いスイングにつなげたいと股関節周りの柔軟性を高めるメニューや筋力強化のトレーニングを毎日行いました。

「地味で今すぐに結果で返ってくるものじゃないんですけど、これが必ず自分の動きをよくしてくれるっていうのを信じてやってました」

けがから復帰して迎えた東京六大学の秋のリーグ初戦。9回の第4打席でした。

宗山選手は力強いスイングでライトスタンドへリーグ戦通算9本目となるホームラン。地道なトレーニングを経て以前よりパワーアップした姿をプロのスカウトの前で見せました。

大学最後の秋のリーグ戦はドラフト会議前の時点で3割9分1厘、ホームラン2本。ケガからの完全復活を結果で証明しました。

運命のドラフト

そして迎えたドラフト会議当日。

宗山選手は明治大学のキャンパスで真剣な表情で会議を見守りました。

注目された1回目の1位指名。

次々と読み上げられた「宗山塁、内野手、明治大学」のアナウンス。

西武、楽天、広島、日本ハム、ソフトバンクの5球団が指名し、抽せんの結果、交渉権は楽天に決まりました。

「この日を迎えるためにここまで野球を頑張ってきたので、こういう評価として現れたのは非常によかったです。トップレベルのところでプレーし続けられる選手を目指してやっていきたい」

終始引き締まった表情で会見に臨んだ宗山選手。

両親がいなければここまで野球も続けられていなかったと振り返り「1番感謝する存在」と感謝の気持ちを話しました。

「これまでの感謝の気持ちを伝えたいですし、これから結果を出して親孝行していきたいです。やり続けることの大切さや、目標を発言してそれに見合う練習をするという父からの教えはプロに行っても続けていきたいです」

父との約束から始まり、それを守り続けて夢の舞台のスタートラインに立った宗山選手。

これからも変わらず約束を守り成長していきたいと話す宗山選手がどんな活躍を見せてくれるのか、注目です。

《取材後記》

宗山選手を初めて取材したのは、ことし2月、明治大が静岡県で行っていたキャンプ中のことで、日本代表のトップチームへの抜てきが発表された日。練習が終わり、宗山選手の様子をみていると、ベンチに残ったペットボトルをマネージャーとともに最後まで片付けていました。

すでにことしのドラフトの最大の目玉として大きな注目を集める存在でしたが、自然な様子で周囲に気を配る姿が印象に残りました。

取材対応はいつも誠実で、急きょ追加で取材が必要になり、話を聞きに行っても「ありがとうございます」と疲れた表情を一切見せずに話を聞かせてくれました。

そしてドラフト会議当日、自分の名前が呼ばれても大きな喜びを見せなかった理由を問うと「自分のドラフトでもあるが、いろんな選手がこのドラフトの指名を待っている。同級生の浅利(日本ハムから3位指名)、高校の同級生、後輩も指名を待っている状況なので平常心でいようって言うのはありました。そこまで指名されてから、本当の意味で安心できるときかなと」と話し、まわりの仲間たちのことまで考えていたことを明かしました。

野球の実力だけではなく、常に周囲への気遣いを忘れないその人柄も大きな魅力の宗山選手。プロの舞台でプレーする姿が今から楽しみです。

日本ハム3位指名の同級生 浅利太門投手と

【詳しくはこちら】ドラフト会議2024 全結果

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