大関昇進の伝達式後、笑顔で写真に納まる大の里(上)=茨城県阿見町の二所ノ関部屋で2024年9月25日午前11時8分、長谷川直亮撮影

大相撲九州場所番付編成会議(25日)

大の里=大関昇進

 出世のスピード、ちょんまげ姿での昇進――。口上の通り、「唯一無二」の勢いを持つ新大関の誕生だ。

 「一日でも早く上の番付に行くことだけを考えて、毎場所毎場所やってきた」。感慨を持って語った大の里だが、まだ入門して1年半ほど。初土俵から所要9場所で看板力士の仲間入りを果たした。2024年1月の初場所での新入幕から所要5場所での大関昇進は、年6場所制となった1958年以降では後に優勝32回を数えた元横綱・大鵬の6場所よりも早く、こちらも最速だ。また、00年代生まれとしては初めての大関になった。

 大学1年で学生横綱、2年連続のアマ横綱という輝かしい経歴を持つ大器。二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)が師匠の部屋への入門は、大の里本人の強い希望だったという。関係者は「『横綱の親方』というのが魅力的に映ったようだ」と明かす。

 ホープの決断は、今のところ吉と出ている。

 今もまわし姿で稽古(けいこ)場に降りる二所ノ関親方は、格好の教材だ。右差し一辺倒の取り口に限界を感じ始めた7月の名古屋場所後。親方と、同じ相手に何番も相撲を取り続ける三番稽古を行うことで活路を見いだそうとした。

 それが、今場所白星を重ねる原動力になった左おっつけにつながった。大の里は「親方と稽古し、ワンパターンではなく、いろいろなことを試して(左おっつけが)きいていた。本場所でも試したら結果がついてきた」。一方の師匠は苦笑交じりに振り返る。「途中から指導じゃなく、僕も『負けてらんないな』と思って気合が入った。力を出し切れた稽古ができたのが一番だったと思う」

 かねてスピード出世にこだわらないと強調してきた二所ノ関親方は、大の里の素直さが周囲も驚く成長を促したとみる。「アマチュアでの実績を持って大相撲に来るとプライドを捨て切れないことがあるが、こちらの言ったことをやり続けられる」。左おっつけだけでなく、腰を割ることの徹底など基礎をたたき込み、身につけたことで今がある。

 21年8月に荒磯部屋として独立・新設してからわずか3年。「こんなに早く大関が誕生するとは思わなかった」と二所ノ関親方は語る。だが、「ここがてっぺんじゃない」。

 大の里もそれは承知の上だ。「もう一回、伝達式を経験したいという気持ちになった。だからこそ自分で勝ち取りたい」。晴れの門出は、横綱を目指す決意を固める日にもなった。【岩壁峻】

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