大の里は新小結で臨み、初優勝を果たしたことしの夏場所で12勝、新関脇で迎えた名古屋場所では9勝、そして2回目の優勝を果たした秋場所では13勝を挙げて、三役で臨んだここ3場所の勝ち星の合計を大関昇進の目安を上回る「34」勝としていました。

日本相撲協会は25日、次の九州場所に向けた番付編成会議と臨時の理事会を開き、大の里の大関昇進を正式に決めました。

幕下付け出しでデビューした大の里は初土俵から所要9場所での大関昇進となり、昭和以降の力士では羽黒山などの12場所を抜いて最も早い記録です。

また、新入幕から所要5場所での大関昇進は、今の年6場所制が定着した昭和33年以降では昭和の大横綱・大鵬の所要6場所を抜いて最も早い昇進となりました。

新大関が誕生するのはことし1月の初場所のあとに昇進した琴櫻以来です。

このあと、協会の使者が茨城県阿見町の二所ノ関部屋に向かい、大関昇進の伝達式が行われる予定です。

大の里がどのようなことばで大関としての決意を述べるのか「口上」が注目されます。

大の里のこれまで

大の里は石川県津幡町出身の24歳。

身長1メートル92センチ、体重182キロの恵まれた体を生かして圧力をかけ、前に攻める相撲が持ち味です。

小学校を卒業後、新潟県糸魚川市に“相撲留学”し、朝早くから夜遅くにまで及ぶ稽古で、多いときには1日100番以上相撲を取るなど高校までの6年間、厳しい稽古に励みました。

相撲の強豪、日体大に進学後は2年連続で「アマチュア横綱」に輝くなど、数々のタイトルを獲得し、大学卒業後の去年5月の夏場所で幕下10枚目格付け出しとして初土俵を踏みました。

その後、去年の秋場所で新十両への昇進を果たすと、力強い立ち合いから大きな体を生かした前に攻める相撲を持ち味に2場所続けて12勝3敗のふた桁勝利を挙げ、ことしの初場所で新入幕を果たしました。

初土俵から4場所での新入幕は、昭和以降では3番目に並ぶスピード出世でした。

そして新入幕からは2場所続けて11勝4敗の成績で三賞を連続で受賞し、ことしの春場所では千秋楽まで優勝争いに加わると、続く夏場所では初日に横綱・照ノ富士から初白星を挙げるなど勝利を重ね、12勝3敗の成績で初優勝を果たしました。

初土俵から7場所目での優勝は幕下付け出しの力士としては元横綱・輪島の15場所目より早く、最も早い記録でした。

そしてことしの秋場所で13勝2敗の成績で2場所ぶり2回目の優勝を果たしていました。

注目の「口上」 これまでの大関は

大関昇進は日本相撲協会の使者が新大関と師匠のもとを訪れて直接伝達し、新大関は受諾する意思を示すとともに大関としての決意を込めた「口上」を述べます。

過去の口上では四字熟語を用いる例が多く、平成の大横綱・貴乃花が平成5年に大関に昇進した際には「今後も不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で相撲道に精進します」と述べました。

「不撓不屈」は「どんな苦労や困難にもくじけないこと」という意味で、貴乃花が横綱昇進の際にも用いていました。

また、元横綱・白鵬が大関に昇進した際には「大関の地位を汚さぬよう全身全霊をかけて努力します」と口上を述べました。

一方、平成31年に貴景勝が初めて大関に昇進した際には「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進して参ります」と述べ、「武士道精神」という漢字5文字に思いを込めました。

このほか、四字熟語などを使わない口上もあり、大の里の師匠の二所ノ関親方、元横綱・稀勢の里が大関に昇進した時には「大関の名を汚さぬよう精進します」と述べました。

また、ことしの初場所後に昇進した琴櫻は「大関の名に恥じぬよう、感謝の気持ちを持って相撲道に精進して参ります」と決意を示していました。

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