<取材ノート>  笑顔であふれていた引退会見が後輩の思いに触れ、涙に染まった。21年間の現役生活にピリオドを打つ決断をしたヤクルトの青木宣親。13日、会場で花束を贈った村上宗隆は、登場時から涙ぐんでいた。「こうしていい野球人生を歩めているのは、ノリさんのおかげ」。言葉を詰まらせながら感謝を伝える18歳年下のまな弟子を見て、青木も思わず目頭をぬぐった。報道陣の前で感情をあらわにすることがほとんどない2人。それだけに、人目をはばからず涙する姿に強い絆を感じた。

ヤクルト青木(左)の引退会見に駆けつけた村上

 宮崎県出身の青木と熊本県出身の村上。2018年に米大リーグから古巣に復帰した青木は、同じ九州出身の後輩に当初から目を掛けていた。新人だった村上は才能の片りんこそ見せたものの、1軍の実績はほぼゼロ。しかし、青木は将来性を見抜いていた。いずれチームを背負うことになる逸材と期待し、その年のオフから自主トレーニングに誘うなど、自身の経験や打撃技術、プロとしての心構えを惜しげもなく教えた。

◆懸命な努力で首位打者3回をつかんだ男の言葉

 当時、青木はこんな言葉を掛けた。「とにかく結果を残し続けることが一番大事。一歩目を大切にしよう」。早大からドラフト4巡目指名で入団。身長175センチの細身ながら懸命な努力で2年目に頭角を現し、首位打者を3度獲得。希代のヒットメーカーに登りつめた青木の教えだからこそ、村上の胸に深く刻まれた。「その教えがあって、今の僕がある」。同じく2年目にレギュラーに定着すると、36本塁打と一気に飛躍。5年目の22年には史上最年少の三冠王や日本人最多の56本塁打など、球史に残る活躍を見せた。

プロ野球史上初となるシーズン2度目の200本安打を先頭打者本塁打で決めた青木=2010年9月26日、神宮球場で

 逆に緩慢なプレーとみれば試合中でも容赦しなかった。「若くてミスしたり、人間的にダメなことをたくさんした時に面と向かって叱ってくれた。人として愛を持って接してくれた」と村上。優しく、時に厳しく導く青木の姿は、師そのものだった。

◆「苦しむことも必要」

 村上は昨季、シーズンを通じて調子が上向かず、今季もここまでリーグトップの27本塁打を放っているが、三冠王を獲得した時のような輝きを取り戻せていない。苦しむ姿を目の当たりにしてきた青木は引退会見で、こうエールを送った。「苦しむこともプロ野球生活の中では必要なこと。これから幸せな野球人生を送ってほしい」  数々の逆境をはねのけ、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝や日本一など数々の栄光を手にし、「100点満点」と振り返った自らの野球人生。弟子もそんな歩みをたどることを願っている。(酒井翔平) 

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