毎日新聞のインタビューに応じる永山竜樹選手=愛知県一宮市の大成中学・高校で2024年9月13日午後1時17分、川瀬慎一朗撮影
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 パリ・オリンピック柔道初出場で銀メダルと銅メダルを獲得した永山竜樹選手(SBC湘南美容クリニック)が13日、母校の大成中学・高校(愛知県一宮市)で毎日新聞のインタビューに応じた。銅メダルを獲得した男子60キロ級では「疑惑の判定」が話題になったが、「選手同士は畳を降りれば仲間」と話した。【聞き手・川瀬慎一朗】

 --五輪を振り返って。

 大会前はプレッシャーや緊張などがあり、しんどさがあったが、五輪で試合をすると、もう一回この舞台に立ちたいと思った。それだけ価値のある大会。

 --準々決勝では「疑惑判定」があった。

 正直、納得いかない部分はあったが、一番は自分が相手の得意な形にしてしまった事が敗因。「待て」が2回聞こえたが、落ちてしまった。判定が覆るかどうか分からなかったが、抗議しなかったら負けてしまう。五輪の舞台で納得いかないまま畳を降りることはできないと思い、抗議した。

 --どう気持ちを整理して次に臨んだか。

 誤審を認めることはないと思い、あと2試合勝ちきるしかないと思った。たくさん応援してもらっているので、「自分の柔道を見せなければ」という責任感で敗者復活戦に臨んだ。あと2試合を準決勝、決勝と思い込むことでモチベーションを少しでも上げることができた。

 --その後の試合のキレが違った。

 吹っ切れた部分もあるし、もともとスロースターターで初戦は動きがあまり良くなく、徐々に上がっていく。何としてでも最低銅メダルは取って日本に帰ろうと3位決定戦を戦った。

フランシスコ・ガリゴス選手(左)と笑顔で写る永山竜樹選手=永山選手のXから
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 --試合後、準々決勝で敗れたフランシスコ・ガリゴス選手(スペイン)との笑顔の写真をXへ投稿した。その思いは。

 SNSでガリゴス選手にひぼう中傷のメッセージが多いと聞いた。向こうも必死で人生かけて戦っているので、今回の件について誰が悪いとかはない。いろいろな条件が重なって、ああなってしまった。

 試合ではあのような形になったが、選手同士は畳を降りれば「同じ柔道をする仲間だ」ということを分かってほしかった。「自分たちは試合が終われば、わだかまりはない」と伝えたくて投稿した。

 --後輩へのメッセージは。

 負けてからでもメダルを取りに行く姿勢を見せられた。人生は挫折やうまくいかないことが絶対あると思うが、諦めずにはい上がっていくことが大切だと伝えたい。諦めずに最後まで戦い抜けば、何かが得られる。

 --次の目標は。

 今回の五輪を終え、五輪で金メダルを取りたい気持ちがよりいっそう強くなった。銅メダルの悔しさを生かし、4年後に向けてまたやっていきたい。

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