パリオリンピックに出場したバレーボール男子日本代表の宮浦 健人 選手が26日、母校・鎮西高校を訪れました。恩師、畑野監督からはさらなる成長を求める力強いメッセージが贈られました。

23日、玉名市でバレーボール教室を開いた宮浦健人選手。宮浦選手が小・中学生時代に所属していたクラブチームの後輩など約100人と一緒にプレーをして、汗を流しました。

そして、子供たちの前でスパイクやジャンプサーブを披露すると・・・。

「痛そう…」
「やばかった、速かった」
「速い」
「びっくりして言葉が出ない。助走とかジャンプ力など自分でもできることがあるかもしれないので、そこを頑張りたい」
(将来の夢は?)
「バレーボール選手です」

【宮浦 健人 選手】
「少しでも思い出になったり、これが刺激になったりして、夢を持ってもらったらいいなと思う。ここにいる選手たちが成長して、上のレベルで頑張ってほしい」

そして、26日は母校・鎮西高校を訪問。恩師の畑野 久雄 監督にオリンピック出場を報告しました。

【宮浦 健人 選手】
「畑野先生!帰って来ました」
(おう、頑張ったね)
「ありがとうございました、応援」

【畑野 久雄 監督】
「(宮浦が)出た時は日本が苦しい時だから、きつい場面で使ってもらえるのはいいことだけど、見る方は心配した」

すると突然、宮浦選手が畑野監督に色紙を渡します。

【宮浦 健人 選手】
「何か言葉をいただければ」

畑野監督が書いたのは【ロスに行け! 鎮西高畑野】

【宮浦 健人 選手】
「畑野先生の言葉はすごく胸に響くものがある。鎮西が僕の土台となっている部分が大きいので、この言葉を胸に頑張ります。ロスまで」

その後、宮浦選手は日本一を目指し、練習に励む後輩たちを指導。自身も4年後のオリンピックに向け、新たな気持ちでスタートを切りました。

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