「変わり始めた大会」猛暑とどう戦っていく?

“情熱”から始まった甲子園

今から100年以上前、19歳でアメリカに留学し、当時からプロのリーグが行われ人気のあった野球を楽しむ現地の人たちの姿に心を動かされた男性がいました。

真ん中が三崎省三さん

甲子園球場の“生みの親”と言われている三崎省三さんです。

「在米中人種差別を受けた。肌の色が違い、背が小さいのでもっと日本人の体格を良くしなければと思った。野球は日本人の体格、体力の向上の為のスポーツとして良いと思った」

三崎さんが先頭に立って甲子園球場は建設され、大正時代の1924年8月1日に開場しました。

甲子園球場開場日の入場式の様子

先人たちから受け継がれてきたのが野球というスポーツです。

【変化1】「野球人口減少」

かつて子どもの好きなスポーツといえば野球と言われていましたが、その環境は大きく変わりました。

高野連(日本高校野球連盟)によりますと、ことし5月末現在で全国の高校の硬式野球部に所属する部員は、およそ12万7000人。

高校の硬式野球部の部員数は10年連続で減少

10年前、2014年度の17万人あまりをピークに10年連続で減少しました。

昨年度の時点でサッカー部の部員よりも少なくなっています。

人口減少やスポーツの多様化などさまざまな要因があるものとみられますが打開策は見えていません。

【変化2】“気温の上昇”

ことしの甲子園も暑かった

さらに夏の時期の暑さの質も数十年前とは大きく異なっています。

ことしは連日「熱中症警戒アラート」が発表され、神戸市では大会期間中に人の体温ほどの37度近くまで気温が上がりました。

高野連は選手の安全を守る対策として試合を7イニング制に変更を検討するワーキンググループを設置し、導入に向けた議論を始めています。

日本高校野球連盟 井本亘事務局長
「高校野球が大きな転換点で岐路に立っていると考えている。社会の状況に合った形で高校野球をずっと続けていかなければならない」

甲子園を訪れた人たちの声

環境が激変する一方で、ことしも甲子園球場では“変わらぬ光景”が見られました。

大社高校野球部OBの子どもを持つ女性
「みんなでひとつになって、あのグラウンドにいる子どもたちを応援することが気持ちよくてすがすがしいです。ここで応援することも歴史を重ねていると思います」

大きな注目を集めたのが32年ぶりに出場した島根の県立大社高校でした。

100年以上も前の第1回大会から欠かさず地方大会に出場を続けていて歴史があり、アルプス席には在校生や保護者だけでなく、高齢者となった卒業生も駆けつけ、およそ3000人で埋め尽くされました。

大社高校のアルプス

一致団結した応援は大声援となって選手たちの大きな力になり、93年ぶりに準々決勝進出。

まさに“旋風”を巻き起こしました。

3回戦の西東京・早稲田実業との試合は、高校野球の歴史に残る好ゲームと言っても過言ではありません。

球場に鳴り響く大社の「サウスポー」、早稲田実業の「コンバットマーチ」。

演奏が「上手すぎる」と話題になった大社OBの坂口雄磨さん

全体に広がっていく応援の“熱”で球場全体が包まれました。

その熱は自分が応援しているチームだけに送られているわけではありません。

7回の大社の守り。

センター・藤原佑選手が打球を後逸しボールが外野を転々としていく間に勝ち越しされました。

直後の大社の攻撃。

打席に入る藤原選手に対して、球場全体から割れんばかりの大きな拍手が送られたのです。

まさに甲子園球場がつむいできた“あたたかさ”でした。

延長タイブレークまでもつれた試合は大社が競り勝ちました。

サヨナラ勝ちで喜ぶ大社ナイン

大社高校 藤原佑選手
「球場全体が見守ってくれたような気がしました。自分1人では立ち直れなかったと思います」

早稲田実業 和泉実監督(62歳 選手として甲子園でプレー)
「お互いの生徒が美しかった。大社の子も、うちの子も。見ていただいた方には選手たちの一生懸命な姿を目に焼けつけてもらえたんじゃないかな」

100年後の未来へ…

100周年を迎えた甲子園球場は、次の100年に新たな歩みを始めました。

それぞれの甲子園とは…。

青森山田高校 橋場公祐選手の父・茂樹さん
「息子にとっても父にとっても憧れの舞台で、最高の場所。一緒に目指して本当によかった」

右が川地星太朗さん

東海大相模高校 2015年優勝時にレギュラー 川地星太朗さん
「優勝したのが一番の思い出。日本一だけを目指していたので楽しいよりきつくつらかった場所。プレーする側ではなくなって思うのは、やっぱり特別な場所。今から目指そうとしてももう目指すことができない場所」

関東第一高校 坂井遼投手の母・一恵さん
「高校最後の舞台でセンバツと夏の甲子園はまったく違う。親にとっても子どもの成長した姿を見られる最高の場所。でもここをゴールだと思わず成長し続けてほしい」

50代女性
「甲子園は夏の風物詩。みんなが好きなことに打ち込んでいて、全力プレー。涙が出てくる」

20代男性
「2006年の決勝(早稲田実業対駒大苫小牧高校)は今でもたまに
夢に出てくる。休みを取って毎年、甲子園に観戦に訪れる。世代を超え楽しめるのも甲子園の魅力」

小学生
「甲子園は憧れの舞台。みんな、かっこいい。いつかここでプレーしたい」

開会式の選手宣誓で智弁和歌山高校のキャプテン・辻旭陽選手は、こう結びました。

「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること、そして僕たち球児の憧れの地であり続けることです。この聖地で思う存分プレーできることに感謝を忘れず、僕たちのプレーが多くの人々に希望と勇気と感動を与えられることを願って全力でプレーすることを誓います」

変わりゆく時代の中で甲子園は、それぞれの心の中に変わらずにあるのです。

(甲子園取材班 大阪局 中村拓斗/山口局 平崎貴昭/新潟局 阿久津忠寛/岐阜局 西田隆誠)

【NHK特設サイト】夏の甲子園2024

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