問題

戦前の甲子園球場周辺は、陸上競技場や遊園地、動物園などがある一大レジャーランドでした。硬式テニスも盛んでしたが、コートの数はどれくらいあったでしょうか?

A:約20面 B:約50面 C:約100面

答え

C:約100面

解説

 テニスは明治時代、国際親善の手段の一つでした。1900(明治33)年、「東京ローンテニス倶楽部(クラブ)」が、現在の国会議事堂のある場所に設立され、皇族をはじめ、内外の外交官や実業家たちの交流の場となりました。一方で、高価な硬式テニスボールのかわりに、安価なゴム製ボールを利用する軟式テニス(ソフトテニス)が日本で発明され、学校を中心に普及しました。大正時代になると、国際試合ができる世界標準の硬式テニスへの憧れが高まりました。

 そんな背景もあって、阪神電気鉄道は26年から、甲子園球場の西側にテニスコートを新設。庶民に開放された「甲子園ローンテニス倶楽部」へと発展させました。これが大ヒット。37年には「甲子園国際庭球倶楽部」に再編し、1万人収容のセンターコートや102面の練習用コートを造りました。戦前の甲子園は、日本の硬式テニスの一大拠点でもあったのです。戦時中、コート群は日本軍に接収され、戦後、その跡地に甲子園競輪場などができました。(丸山健夫・武庫川女子大名誉教授)

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。