「まさに壁のよう」
レスリング女子が正式種目として採用された2004年のアテネ大会から、日本が唯一金メダルを獲得できていなかったのが最重量級でした。
この階級は力自慢どうしががっぷりと組み合い、じっくりと重さをかけ合う戦い方が特徴です。タックルを仕掛けるのも簡単ではなく、アテネ、北京と2大会連続で銅メダルを獲得した浜口京子さんですら、タックルを投げ返されたりつぶされたりするなど、厳しい戦いを強いられてきました。
浜口京子さん
「海外の選手は体も大きくてまさに壁のように感じる。タックルにいって勝つのは非常にリスクがある」
常識なんて 倒してしまえ
そんな“常識”をものともせず頭角を現したのが、鏡選手でした。
日本勢20年ぶりとなる女子最重量級の金メダル獲得を果たした去年の世界選手権。鏡選手は全ポイントの70%をタックルを起点に奪い、関係者を驚かせました。
小学1年生のころからレスリングを始めた鏡選手は、タックルで相手を倒すことに魅力を感じていたといいます。
「昔からタックルで勝ってきたので、タックルでしか勝てないと思っている」
みずからのタックルを磨いて数々のタイトルを手にし、最重量級になってもその姿勢は変わりませんでした。
リスクをものともしないタックルを磨く
腕の長さやパワーで劣勢に立たされることが多い海外勢を相手にタックルで勝つために、特に磨いてきたのがスピードです。
スパーリングの相手に男子の軽量級選手を選んでは相手の足元に飛び込むことを繰り返したほか、専属のトレーナーのもと筋力トレーニングにも励みました。
技術は東洋大学時代からの恩師・前田翔吾コーチに指導を仰ぎ、相手の骨格に合わせたタックルの入り方や、入ったあとに返し技を受けない体の動かし方など、細かい部分まで突き詰めてきました。
「タックルに入るときに光が見えるようになった」
そう言うほどの自信を示すようになり、パリに向けて準備は整った…かと思われました。
大会直前で大けが
ことし5月、右ひざのじん帯を損傷。
マットに上がることすらできなくなりました。
底抜けに明るい性格の鏡選手も「さすがに落ち込みました」と肩を落としましたが
「この経験も、金メダルを取るために必要なこと」
前向きに受け止め、上半身のトレーニングなど、できることに全力で取り組んできました。
パリで見せた“自慢のタックル”
大会の直前に実戦を積めないまま、ぶっつけ本番とも言える初めての大舞台に臨んだ鏡選手。それでも、タックルの切れ味は一切鈍っていませんでした。
順当に勝ち進むと、日本の先輩たちが立つことすらできなかった決勝に進みました。
決勝では鏡選手が大好きな「ひまわり」を身につけて家族や仲間が観客席から声援を送るのを見て、笑顔で手を振りながら入場しました。
対戦するのは1メートル80センチを超えるアメリカの選手。
身長差は10センチ以上。リーチがある相手に序盤は果敢にひざから下を狙ってタックルにいきますが、そのまま上から覆いかぶさられてポイントにつなげることができません。
それでも徹底した低い構えからフェイントを仕掛けたり圧力をかけたりして、徐々に相手の構えを崩していきました。
1対1で迎えた後半、組み合った状態から一瞬の隙を突き、ここは相手の太もも部分を狙って高速のタックル。場外際でしたがうまく相手の体を返して2ポイントを奪いました。その後も冷静に相手の動きを読んでリードを保ち、勝利を収めました。
勝利が決まると、セコンドについた前田コーチを肩車してウイニングラン。
「タックルで勝つために練習をしてきた。諦めずに練習してきてよかった」と努力の成果を示しました。
日本の偉大な先輩が誰もたどり着けなかった史上初の最重量級の頂点。それは日本レスリングにとって過去最多を更新する8個目の金メダルも意味しました。
100年ぶりの開催となった花の都・パリでのオリンピックで大好きな「ひまわり」のように明るい笑顔で有終の美を飾った鏡選手。“常識”破りとも言われるほどに鍛えあげたタックルで、日本のレスリングの歴史にその名を刻みました。
レスリング 鏡優翔が金メダル 女子76キロ級 パリオリンピック
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