輝かしい実績と無縁な日々も…

シドニー大会に出場した父に続き、親子でのオリンピック出場を果たした元木咲良選手。応援に駆けつけた両親に金メダルを届けました。

元木選手はシドニーオリンピック男子グレコローマンスタイル63キロ級に出場した父の康年さんの影響で、3歳のころから地元の埼玉県でレスリングを始めました。

ただ高校3年生の時には今大会53キロ級で金メダルを獲得した藤波朱理選手から1ポイントも奪えずに完敗するなど輝かしい実績とは無縁な日々が続き「自分にはセンスがない」と感じていたといいます。

レスリング自体は大好きで大学進学後も続けましたが、2年生のときには右ひざのじん帯を断裂。マットに上がることすらできなくなりました。

それでも海外選手の動画を見たり練習を見学したりしてタックルの入り方や角度など、攻撃のパターンの研究は怠りませんでした。気付いたことをノートにまとめ、体を動かせるようになると練習で試すなど一歩一歩、技術を磨いていきました。

その後はしれつな国内予選を制して初めてのオリンピックの切符をつかみ「不器用な自分でも勝てる姿を見せたい」という思いを胸に、パリ大会の決勝まで勝ち進みました。

そして父が届かなかったメダルを粘り強い戦いぶりで手にしました。父が母とともに「『良』い花を『咲』かせられるように」と思いを込めてつけてくれた「咲良」という名前。その名に恥じない大輪の花をパリで咲かせました。

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