不祥事に揺れたチームを立て直し、夏の甲子園初出場に導いたのは、実業家から転身して指導者歴1年半の監督だった。第106回全国高校野球選手権大会に出場する聖カタリナ学園(愛媛)。選手たちから「怒らない、優しい監督さん」と慕われる異色指導者の手腕とは――。
2023年2月に就任した浮田宏行監督(53)。松山市出身で、松山商(愛媛)時代には遊撃手で甲子園出場はなく、創価大に進んで「練習中は座って声を出すだけで楽そう」という理由で捕手に転向した。東京新大学リーグで最多本塁打(2回)、首位打者、最多打点に輝くなどベストナイン4回(1回は一塁手)。プリンスホテル(廃部)でもプレーし、都市対抗や日本選手権に出場した。
地域の若手経済人のリーダー的存在
29歳で帰郷して家業の携帯電話販売会社を継ぎ、カフェも十数年間経営した。松山商工会議所青年部会長に就くなど、地域の若手経済人のリーダー的存在でもあった。地元放送局で約20年間、高校野球や独立リーグの解説者を務めたが、「高校野球の指導者になって甲子園に出たいとは思わなかった」と振り返る。
聖カタリナ学園は16年に女子校から共学化し、野球部を強化して21年のセンバツに初出場。しかし、22年5月に野球部寮で集団暴行が発覚し、当時の監督と部長が辞任した。夏の愛媛大会は3年生のみ出場が許され、その後の秋季大会には出られなかった。
浮田監督は同年12月、同校関係者に会った際に「なり手がおらず、監督が決まらない」と聞き、「いい選手はいるのにもったいない。選手も気の毒」と感じた。「監督の話を持ち帰らせてください」と引き取り、家族と相談して自身の監督就任を決断。当時、家業の会社の経営状態から事業譲渡を考えており、転身に「迷いはなかった」。23年2月に学校職員となり、翌月に事業を手放した。
本格的な指導経験は皆無
過去にボーイズリーグ(中学生硬式野球)の松山市選抜チームの監督を務めたり、母校の練習に顔を出した際に教えたりすることはあったが、本格的な指導経験は皆無。それでも「野球解説者を長年続けていたので、今の高校野球の情報を知っていて戸惑いはなかった」といい、「指導は座学から始めた。県内でイメージが悪くて廃部寸前の状況だと選手に理解させ、地域に愛されるチームになろうと説いた」と明かす。
部員たちと話し合い、ボランティア活動に取り組むことを決めた。部員たちは今年3月に松山市駅前で能登半島地震の募金活動を行い、7月の愛媛大会準々決勝以降の試合日には球場周辺の草むしりもした。
指導は「1対1×20」
浮田監督は部員にあいさつや礼儀、整理整頓などをきちんとし、周りの人に感謝するよう指導する。「本当に感謝の気持ちを持てば、気を抜いたプレーは絶対しない」ためだ。月に20日は寮で部員と寝食を共にして「ベンチ入り20人への指導は1対20ではなく、個々の性格に合わせて1対1×20。企業で社員に教えるのと同じで、そうしないと個性が生きない」と個別にきめ細かな会話を心掛け、企業経営の経験も生かす。「人間力野球」を掲げて選手の自主性を重んじ、全体練習を減らした。4番・一塁手の河野嵐主将(3年)は「伸び伸びやらせてくれ、とても優しい監督さん。怒らないので、僕らも意見を言いやすい」と信頼する。
監督就任1年目の昨夏の愛媛大会は右腕・河内康介投手(現オリックス)を擁して4強入りしたが、昨秋と今春の公式戦で計1勝。だが、その後にメンタルトレーニングを導入したのに加え、低いゴロを打つ練習を徹底し、球を引きつけてコンパクトに打てるようになったという。今夏の愛媛大会では1試合平均7・8得点と打線が好調で、ノーシードから頂点に立った。
10日の岡山学芸館との1回戦に向けて「投手を中心にしっかり守り、少ないチャンスをものにしたい」と甲子園初勝利を目指す浮田監督。教え子たちには「甲子園で学んで、今後の人生でリーダーシップの取れる人間になってほしい」と望んでいる。【来住哲司】
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